小道
川崎ゆきお
「そこは危険だよ」
深夜、歩道を散歩していた岩田は、そう声をかけられた。登山でも行くのかと思うような重装備の老人だ。靴も運動靴ではなく、靴底が分厚く、そして重そうな登山靴だ。初夏だが分厚いチョッキを着ている。年齢は分からないが、若者ではない。
岩田が立っている場所は四つ角で、街路樹の多い小道と交差している。その小道へ足を踏み入れようとした矢先、声をかけられたのだ。
要するに、その街路樹の多い小道に入り込んでは危険だと知らせてくれたわけだ。
岩田は引っ越して間もないため、近所のことはあまり知らない。町内のすべての道を把握しているわけではない。その用事もないためだ。
岩田が深夜の歩道を歩いていたのは、食パンが切れたため。その歩道は幹線道路脇にあり、少し行けばコンビニがある。
深夜、食パンを買いに行く岩田も妙だが、昼頃起きてくるため、岩田の時間帯では決して深夜ではない。深夜とは眠っている時間を指している。
岩田の行動も説明が必要だが、この登山服の男はもっと説明が必要だろう。リュックを背負っていないのも不思議だ。だから、朝から山登りに行く人ではない。それに近くにそんな大層な山はない。
「この時間、出るから注意が必要なのです」
いきなり説明を始めた。ガイドのように。
「あなたは知るか知らぬかは知らねども、その小道は散歩者の多い場所でして、この時間は出るのです」
「出るって、不審者?」
「幽霊です」
意外な球を投げられ、岩田は受けられない。球を受け損なった。
「そこは、この近辺の人たちが散歩するコースでしてね。道は狭いが不思議と街路樹で並木ができている。防風林でもあり、日除けでもある。狭いので、車は滅多に入ってこない。だから、常連さんが散歩コースにしている。歩いたり、走ったりと、それは様々だ。そして、そのほとんどがお年寄りだ」
ここまで聞いて、幽霊との結びつきを、岩田は何となく分かった。みなまで聞かなくても想像できた。
「去年まで歩いていたお年寄りが、今年は姿が見えない。去年の初夏、青葉茂れるころ、すいすい歩いていた若作りのお年寄りの姿がない」
やはりそのことかと岩田は確信した。
「常連だった人々は消えた。散歩コースからだけではなく、ご自宅からもね。町から消えたのですよ。毎年何人かが来られなくなる。来たくても来られない」
「はい。分かりました」
岩田はそこで話を切ろうとした。
「だが、この時間になると、それらを見ることができます。彼ら彼女らは来ているのです。この時間にね。だから、そのお邪魔をしてはならない。この道を十メートルほど中にはいると、その列が見えてきます。行列です。歩いています。軽く走っている人もいます。その邪魔をしてはなりません」
「ちょっと、急ぎの用があるので、これで」
岩田は、そういうなり、男の横をすり抜け、コンビニへ向かった。
「聞いてくださって、ありがとう」
岩田は、その言葉を背中で聞いた。
当然、振り返れば、もういないことは分かっている。
了
2012年5月19日