小説 川崎サイト

 

立花の蕎麦世界

川崎ゆきお


 立花は最近立ち食いそば屋へ行っていない。自分で和蕎麦と出汁の素を買い、それを部屋で作って食べている。経済的にはその方が好ましい。
 立ち食い蕎麦屋が立花の世界から消えた。立花行きつけの道沿いにその蕎麦屋は見えているが、途中で曲がるため、その前までは行かない。その曲がり口から蕎麦屋は見えるのだが、かなり遠いし、意識しないと目に入らない。
 立花の行動範囲内から立ち食い蕎麦屋は消えたが、蕎麦屋そのものが消えたわけではない。だから、その気になれば、蕎麦屋へは行ける。
 それと同じように消えた人間が多くいる。決して死亡したわけではなく、生きているはずだ。ただ消息を知らない場合、生死不明だが、よほどのことがない限り限り、生きているだろう。
 この場合も、立花の世界から消えただけで、対象が消滅したわけではない。
 立花はある日、蕎麦を作りながら、そんなことを考えた。同じ蕎麦なのだが、うどんではなく、蕎麦というだけのことで、あの立ち食い蕎麦屋の蕎麦ではないし出汁ではない。本当に食べたいのか、自分で作った蕎麦ではないような気がしてきた。
 確かに自分で作ったものと、作ってもらったものとでは違いがある。どのように作ったのかが分かっているようで、分からないからだ。
 立ち食い蕎麦屋では、目の前で作っているところが見られる。蕎麦をさっと熱湯の中に入れ、さっと出し、どんぶりに入れ、その上にさっと出汁をかける。単純な方法だ。特別な作り方ではない。
 しかし、同じ和蕎麦ではない。その蕎麦はスーパーで袋に入った湯がいた蕎麦と同じだが、立ち食い蕎麦屋の蕎麦は市販されていない。出汁もそうだ。あれと同じ味を作ろうと思うと難しい。
 そうなると、立花は蕎麦一般が食べたいのではなく、あの店の蕎麦が食べたいのだ。
 安っぽい立ち食い蕎麦屋の蕎麦なので、それほど贅をこらしたものではないはずだ。きっと小麦含有率も多い蕎麦だろう。出汁も化学調味料が入っているかもしれない。安物の蕎麦なのだ。
 しかし、それと同じものは作れない。
 立花の世界から立ち食い蕎麦屋は消えたが、立ち寄れば、いつでも立花世界に組み込める。
 それができないのは、経済的な問題だ。決して高い蕎麦ではない。だが、自分で作った方が安い。
 ここに立花の葛藤がある。
 上流、中流、下流と、確かに世界がある。
 
   了


2012年5月24日

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