小説 川崎サイト

 

曼荼羅書斎

川崎ゆきお


「ここは仏間ですかな」
「いえ、寺の講堂です」
「ああ、なるほど」
 妖怪博士は寺島家の書斎を訪問した。取材を頼まれたのだ。
 寺島氏は変わった書斎を持っているとのことで、そのジャンルなら妖怪博士がふさわしいのではないかと担当者が判断した。
 書斎の床には大小の仏像が置かれ、数段高い須弥壇には椅子と机があり、そこが寺島氏の定位置となっている。ご本尊の位置だ。そのため、妖怪博士は寺島氏を見上げる格好で座布団に座っている。ご本尊を拝むように。だが、そこにいるのは人なので、孔子様でも拝んでいるような雰囲気になる。もし、寺島氏が厳つい顔で髭面なら閻魔大王の前で取り調べられている感じだ。
 寺島氏は妖怪博士のことを知らない。もし知っていれば、なぜ妖怪系の人をよこしたのかと、不審に思うだろう。いや、不快だろう。
 妖怪博士は六畳の間二つをぶち抜いた書斎に埋め尽くされている品々をとくと見ている。仏具もあれば神器もあり、妙な文字のお札も貼り付けられている。仏像は骨董品や、土産物品のようだ。なかには能面まで飾ってある。
 この状態では寺とは呼びにくいので、お寺系の人は呼べないのだろう。このいかがわしさは、やはり妖怪博士向けなのだ。その意味で、担当者は的を得た人選をしたことになる。
 妖怪博士は最初正座だったが、ここはお寺ではないので、足を崩した。そのとき手が仏像に触れた。二十センチほどの絵をくり抜いた仏像だ。本の付録に入っている組み立て模型のような仏様だ。それを倒してしまったので、あわてて立て直し、邪魔にならないよう、奥に移動させた。
「あっ」
 寺島氏が、その紙で組み立てた仏像を指さす。
「位置が違います」
「ああ、それはどうも」
 妖怪博士は、元の位置に戻したが、体のすぐ横にあるため、また倒しそうだ。こんなところで、コントをやっている場合ではない。
「ここは京都東寺の立体曼荼羅なんです。ポジションが決まっています。ここにすべての仏像が並んでいます。ものはバラバラですが、仏像名はきっちりそろっています。ただ、僕が座っている場所は、本来大日如来がくるのですが、それは、まあ、一応、この書斎の主という特権で、僕がその座にいます」
「それはいいですが、何をなさっておられるのですかな。この書斎で」
「よくはない。この説明が大事なんです。そうでないと、意味が通じない。しっかりとした意味があるのです。それにあなたは聞き手でしょ。今日はインタビューじゃないのですか。だったら、僕はいろいろ話してもかまわないはずです」
「それは、当然です。どうぞ」
「ただ、僕は東寺立体曼荼羅のコピーを、ここに持ってきたわけではありません。僕なりのアレンジをしています。それは、神道系も加えているのです。元々密教は、その面が強い。土着の神々、この場合、インドの神様ですなあ。それを仏教に取り込んだ。それと同じように、日本の神々も取り込んでおるのです。その左の壁にぶら下げているのはイボ神様です、イボ蛙が逆立ちしているでしょ。これはデキモノの神様です」
「それと、立体曼荼羅はどう関係しますのかな」
「しません」
 妖怪博士は、こういう論法の人が好きなのか、にんまりした。
「しませんが、ここに置くと関係しそうなので、妙なんですよ」
「はい、分かるような気がします。組み合わせの妙ですな」
「そうそう、よく分かっておられる。ただし今のところ、大した変化はありません。効果も今一つです。これはオーケストラなわけでして、鳴っていてもよく分からない。しかし、何らかの影響があるはずです。まだ発見していませんが」
「それで、この書斎で何をなされておるのですかな」
「何もしておりません」
「でも、書斎でしょ」
「一応」
「困りましたねえ」
「ああ、取材ですねえ」
「そうなんです」
「まあ、書斎で何かをやるということは、それほどないのです。ここに座っていますと、私は最高位の大日如来なわけですからね。その大日如来が、今更読書もできないし、また書き物をしても、ちょっとそれは無理なのです。それで、下手なことが書けない。大日如来ですからねえ。だが僕は普通の人間です。だから普通の文章しか書けません。その多くは日記です。朝起きた、会社へ行った。等々です。そんなもの大日如来は書かないでしょ。内容も問題があります。ここがジレンマでしてねえ。最初は落ち着ける場所として、こういった設置をしたのですが、座ってしまうと、あまり下世話なことをしたくなくなるのです。それに僕が書けば全て下世話なわけでして」
 妖怪博士は、それをメモることもしないし、また録音もしていない。普通に聞いている。
「例えばですなあ、この仏像などを取り払うとどうなりますか」
「この境地を全て失います」
「では、その境地とやらの実体は、この装飾にあるわけですな」
「そうです」
「それは寺社も同じです。だから、それでノーマルじゃ」
「僕もそう思っています。建物そのものが効果を出しているのであって、それを取り払い、更地にしてしまうと、普通の空き地です。だから、素人の私でも大日如来になれるのです。この立体曼荼羅さえあれば」
 妖怪博士はおおよそのことが分かったので、このへんで退散することにした。取材としては短いが、大意は掴んだつもりだ。
「ところで記者さん。いや、編集員さんですか。あなたもそんなお年でご苦労様ですねえ」
「では、このへんで失礼したいと思います」
「ああ、随分と早いですねえ。いろいろ見ていって下さいよ」
 妖怪博士は立ち上がったが、自分でも少し早すぎるようなので、もう少し付き合うことにした。この寺島氏の書斎はネタとして面白いので、いろいろと取材を受けているようで、つまり取材慣れしている。彼としては妖怪博士の取材が短いのが気になったのだ。もう少し驚いて欲しかったようだ。
 妖怪博士は丁寧に部屋中にある仏像や、わけの分からない物体や、貼り物、吊るし物、掛け物を見ていた。その中には髑髏も混ざっている。もう完全に秘宝館だ。
 そして適当に見渡しているその視線の先に、気になるものを発見した。それは案山子だった。田んぼに立っているあの案山子だ。しかし嫌に生々しい。案山子なので人型だ。それをいえば仏像も人型だが、それには何も感じなかったのだが、粗末な丸い棒と藁でボリュームのある人型を作り、納豆のように膨らんでいる。特に汚れた布でぐるぐる巻かれた案山子の顔がミイラの包帯のように見えた。つまり、テープ状なのだ。素朴な案山子なら頭に布袋をかぶせれば、簡単に作れる。そこにへのへのもへじでも書けば、目鼻立ちができる。しかし、ミイラを巻いているような包帯のような箇所には目も鼻も何も書かれていない。のっぺらぼうなのだ。書かれていない方が逆に怖い。想像してしまうためだ。
「どれですか」
 妖怪博士が、じっとある一点を見つめているので、寺島氏は解説を加えたいのか、嬉しそうに聞いてきた。ゴチャゴチャあるため、妖怪博士が何を見ているのかが分からないのだ。
「これなんですがね」
「どれどれ」
「この案山子なんですが」
「それは買ったんですよ」
「案山子など売っているのですかな」
「古道具屋の倉庫にありました。売れないので、納屋のような倉庫に突っ込んでいたのですよ。それはもうゴミ寸前というか、廃棄寸前品を積み上げている場所です」
「その古道具屋は、この案山子を何処で手に入れました」
「ああ、僕も珍しいので、聞いてみましたが、よく覚えていないようです。ガラクタ買いの中に混ざっていたとか。まあ、素朴な案山子は珍しいですからね。今風じゃなく。だから、使えると思うのですよ。案山子が欲しい人がいるかもしれない。今わざわざ作るとなると、手間でしょ。それに新しいのじゃなく、古い案山子となるとね」
「あの布のようなものをほどきましたか」
「そんなことすると、中から藁が出て来ますよ。まあ、藁とは限らないですが」
「と言いますと」
「アンコですよ。詰め物。だかボロ布かもしれないし、スポンジかもしれない。ワタかもしれませんが、僕は藁だと思いますよ、胴体は藁ですから。その上にボロ着をまとってますが、所々穴が空いており、藁が出ているでしょ」
「もしよければ」
「見てみますか?」
「そう願えたら」
「あなた、書斎より、そっちの方ですか」
「そっちとは」
「下手物系ですよ」
「ああ、まあ、好きでしてな」
 妖怪博士は他の仏像などを倒さないように壁まで近付き、そこに立てかけられている案山子の前に来た。目と鼻の距離に案山子の顔がある。案山子は壁にもたれかかった状態で、安定している。結構ボリュームがある。
 案山子はまるで十字架にかけらた人のようだ。腕にもボリュームがあり、木の棒だけの腕ではない。その先の手は軍手がはめられている。
 妖怪博士は、案山子の腹の部分に手を回し、抱き上げようとしたが、かなり重い。だが大人ほどの体重はない。当然だろう。腰から下は一本足だ。
「これは立てかけてあるだけですかな」
 妖怪博士は大日如来に聞く。
「仮置きで、まだ留めていません。結構重いので、安定してるんで、そのままにしているんです。まあ、奥にあるので、僕も手入れしにくくて」
「どうして、案山子をここに置かれたのですかな」
「それは先ほどの説明したように、古道具屋の倉庫で見つけて珍しかったからですよ。ただの案山子を売ろうとするのも面白いですが、これを仕入れた主人も面白い。案山子なんて、一年か二年でだめになるんじゃないですか。雨ざらしなんだから、傷んで当然。だから、あとは捨てたり燃やしたりするんでしょ。しかし、案山子が欲しいと思っても、すぐには手に入らない。探せばいくらでもあるだろうけど、実りの季節が相場でしょ。夏から秋にかけて。しかし、最近は案山子なんて見かけなくなりました。田んぼが減ったためでしょうねえ。それで僕は気に入ったのです。案山子のことなんて、僕の人生の中では、もう忘れ去られた存在です。そういった忘れ物を飾りたい。これは別の意味もあるのですよ」
「別の意味?」
「大した意味はないですが、仏像と案山子、似ているのですよ。僕の中では」
「ああ、そうですなあ、どちらも人型だ」
「今度また案山子が出たら、買いますよ。安いわりには大きいですからね」
「ところで、ご主人、少し調べてもよろしいかな」
「はいどうぞ」
「少し手荒く調べますが、いいですかな」
「どうなさるのです」
「芯を見たいのです」
「芯? 芯は棒でしょ」
「アンコです」
「詰め物をですか。いいですよ。どうせボロボロなんですから」
 妖怪博士は、先ず案山子の軍手を外そうとして。そのとき、少し力を入れたためか、案山子が左右に揺れた。
「大丈夫ですか」
「はい、倒さないように慎重にやります」
「気をつけて下さい。周囲は壊れ物で一杯なんですから」
「この案山子、部屋の真ん中に移動させていいでしょうか」
「それは大仕事です。引きずり出すの大変です。入れるとき、諸仏を動かす必要があります。これも危険なんです」
「じゃ、ここで倒さないように、調べます」
「しかし、何を調べるのですか」
「だから、アンコです。中に詰まっているものです」
「じゃ、胴体の安定しているところを破ればいいんじゃないですか」
「いいのかな。破っても」
「どうせボロギレと藁くずでしょ」
 妖怪博士は藁を包み込んでいる胴体部分のボロ着に目をやり、穴が空いているところを探した。
「じゃ、ここに指を突っ込みますぞ。いいですな」
「はいはい」
 妖怪博士はそこに指を突っ込んだ。天井の蛍光灯だけの明かりなので、穴の奥まで光が届かない。その感触はスカスカで、おそらく藁だと思えたが、指の根元まで突っ込んだとき、妙な感触がした。しばらく指の先で、もぞもぞやっているうちに、それが何であるのかが、分かったようだ。
「寺島さん」
「何でした?」
「ちょいと、まずいかもしれませんぞ」
「ど、どういうことです」
 妖怪博士は、ぼろ布を少し破った。指を動かしすぎたのだ。
 そのため穴が裂け、指の自由度が増した。今度は手首まで突っ込んだ。
「寺島さん」
「どうしました」
「ボロ着の下は藁で、その下に何かあります」
「いいですから、よく見えるように破って下さい、壊してもかまいません。僕も見たいです」
「寺島さん」
「何ですか」
「それなら、頭部を壊した方が分かりやすいと思いますが。いかがですかな」
「もう、何でもいいです、どうせボロボロの案山子なんですから、元に戻すのも簡単でしょ」
 頭部は包帯のようなものが巻かれている。それを妖怪博士は上下に引っ張り、隙間を拡げた。蛍光灯の光で、その顔の部分が露出した。どす黒い。
「うーむ」
 妖怪博士は老眼鏡を取り出した。手元がよく見えないのだ。
 包帯のような布は、剥がすほどに黒ずんでいく。ちょうど目にあたる場所を完全に剥がした。
「寺島さん。見えますか」
「ああ、ここからでも見える」
「目のあった場所でしょうな。この窪みは」
 妖怪博士は、次々に剥がし、ついにぐるぐる巻きにされていた頭部の布を全部剥がした。
「ここは鼻でしょ。その下が口。歯がまだ残っている」
 寺島氏は近付きすぎて、六十センチほどの金剛夜叉明王と大威徳明王を倒しかけた。下手をすると将棋倒しで、全部倒れることになる。幸い、そういったドタンバタンはなかった。
 妖怪博士は目の窪みに指を突っ込み、目玉を取り出した。
「劣化で沈み込んでいたのでしょうなあ」
 ぽいと寺島氏に投げ渡す。
「ガラス玉ですか」
「まだ、こんな職人がいたのか、昔のものを引っ張り出してきたのか。動物の頭じゃ。胸は牛ではないかと思う。または大きな犬」
「何ですかそれは」
「妖怪じゃよ」
 と、言った瞬間、妖怪博士は、妖怪博士の素に戻ってしまった。
「江戸時代に作られた妖怪の剥製だ。または大正あたりまで見世物小屋用に作られたおった妖怪のミイラかもしれん。それを案山子の中に突っ込んだのか、または最初から作ったものなのかは、私にも分からんが、おそらく前者だろう。それなら、もっと妖怪が露出した案山子にしていたはず。いや、待てよ。これはやはり納豆タイプかもしれん。藁を割って始めて分かる隠し技かも。まあ、裏地ではないにせよ。見所は表ではなく裏にあると言うことか。つまり、隠しておいて、調べさせるのが目的かもしれん」
 妖怪博士は、長く語りすぎた。寺島氏は口を明けたまま聞き入っている。
「寺島さん」
「はい」
「あなたは、いい細工物を手に入れられた。どうもその古道具屋、これを知らないで、ただの案山子だと思い、捨てるところだったのじゃ」
「し、しかし」
「何かね」
「これ、本物のミイラですよ」
「昔の職人は実に巧みだ。現代人でさえだませる」
「し、しかし。これ、本物です」
「確かに本物の動物のミイラだ。だから、偽物だとは申しておらん。ただ、これを妖怪だと言うから偽物になるんじゃ」
 寺島氏はミイラに驚くと同時に、インタビューに来た人の喋り方が変わったので、そちらのほうでも驚いているのだ。
「しかし寺島さん」
「は、はい」
「この妖怪のミイラは壊れやすい」
「はい」
「幅広の木綿の包帯が必要じゃ。どうするかね」
「あ、何がですか」
「いや、ミイラとして飾るか、案山子として飾るかだ」
「ミイラは怖いので、案山子として飾りたいですけど、中にこんな燻製のようなものが入っていたんじゃ、ちょっと考えてしまいます。ここは寺ですから。それに二十一尊の仏像がメインですから、やはり、生臭い犬の頭など、ちょっと」
「平泉の中尊寺を見よ。金色堂には藤原四代のミイラがおるではないか」
「そうですねえ。考えさせて下さい」
「腕は何かは分からん。この長さからすると、鹿の足かもしれんのう」
「止めて下さい、捨ててきます」
「誤解されますぞ。妖怪のミイラじゃが、人間に近い人型だ」
「どうすればいいでしょう」
「この床下に埋めるか」
「余計に怪しいです。犯罪者のようで」
「そうか」
「あのう」
「何かね」
「持ち帰っていただけないでしょうか。どうもあなたは、その分野に詳しいようですし、こういうものを見ても、何とも思わないような人のようですので」
「そうか、それはありがたい。じゃ、いただいて帰るか」
 ミイラ入り案山子を持ち帰った妖怪博士は、その後、高値で売り払った。
……という話は聞かない。
 
   了

 

 


2012年5月29日

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