階段怪談
川崎ゆきお
これは、不思議な話ではなく、あり得ない話だ。しかし、お話としては、あり得る。
場所は郊外にある大きなショッピングモール。その階段話だ。
三島という男は、毎日このモールの二階にあるコーヒーショップに通っている。自転車で来ているため、中庭に面した玄関口から入る。勝手口のような感じだが、自転車で買い物に来る主婦が多く利用している。
建物内に入ると、すぐに食料品スーパーがある。フロアー中央部にエスカレーターはあるが、三島は入り口近くの階段を利用している。その方が二階にあるコーヒーショップまでの距離が近いためだ。その階段の上り下りは、もう日課となっており、見慣れた階段だ。建物内にあるため、非常階段と言うより、ふつうの階段だ。建物の外側にある階段ではない。エスカレーターもあれば、エレベーターもあり、ふつうの階段もある……という感じだ。
ただしこの階段、防火扉がついている。それを閉めれば、階段は閉鎖される。もし火が出た場合他の階へ煙が行かないようするするためだろう。
三島がこの階段を利用するのは、コーヒーショップへの最短距離のためだけではなく、階段を上がりきった通路にトイレがあるためだ。ここを三日に一度ほど利用している。しかし、この話は、トイレの話ではない。
三島が不思議な体験をしたのは、コーヒーショップでしばらく過ごし、そのトイレに入り、そして、階段で下りかけたときだ。階段は踊り場で折り返すタイプだ。防火扉を閉めれば、階段だけの世界になる。
二階から一階へ下りるとき、半分下り、後の半分は踊り場で折り返すように下りる。階段全体は薄暗い。踊り場からフロアは見えるが、テナントの後ろ側の壁が見える程度で、そこからの照明は少ない。テナントの裏側通路ということだ。その通路の照明がわずかばかり差し込む程度で、後は階段内の照明だけ。暗いと言っても歩けないほどではない。当然だろう。営業中なのだから。そして、非常用の階段ではなく、ふつうの階段としても使われているからだ。
踊り場で三百六十度回り込むと、一階の通路が見える。
その日、三島は何を思ったのか、防火扉のレールを越えて一階へ出ないで、そのまま下へ向かった。
何も思わなかったといえば嘘になる。いつも決まったコースを歩いているため、たまには変化が欲しいのだろう。外因ではなく、内因だ。
一階の下は地下一階。三島には用がない階だ。建物の全体像を把握しているわけではないが、おそらく駐車場だろう。ただし、ここは別館で、三島が知っているのは、本館の方だ。そちらの地階は駐車場で、一度友人の車で来たとき、下りて行ったことがある。おそらく、この別館も似たような構造だと思っていた。実際、地下は駐車場なのだ。しかし、自転車で来た三島には用がない階だ。
階段途中の踊り場から下を見ると、テナントの雰囲気とは違い、もろに駐車場の広い暗がりが見える。当然、用事はないので、そこを通過し、さらに下へと向かった。
そして、踊り場で反転すると、下は薄暗い。防火扉が閉まっており、階段内だけの明かりになっているからだ。蛍光灯は防火扉の上と、踊り場だけにある。駐車場からの明かりがないだけなので、極端に暗くなったわけではないが、防火扉を閉めると、煙突になることは確かで、やや窮屈な感じだ。
そう感じながら三島はさらに下へと向かう。地下三階へ。三島はまだ下への階段があることに興味を持った。一番下まで行ってみようと。
そして、ここからが不思議なことになる。いや、既にそうなっているのかもしれない。下りても下りても下へと続いているのだ。
やがて、徐々に階段や踊り場の色合いが変わってきている。手すりが錆びている。階段にゴミが落ちており、踊り場の隅には包装紙の欠片や、お菓子の袋や箱、サービス券などが積もっている。
さらに下へ向かうと、防火扉の上の蛍光灯が消えていた。
もっと下に行くと、埃の被った陳列台が踊り場に置かれ、洗濯機のホースのようなものがとぐろを巻いている。
さらに下へ行くと、階段にもがらくたが置かれ、体に触れると物が落ちてきた。
階段が狭くなったわけではなく、物置状態になっているため、通りにくいのだ。
さらに下へ行くと、行き止まりではないが、壊れたレジ機や、業務用冷蔵庫が行く手を塞いでいる。
三島は階段の突き当たりまで行こうとするが、障害物が多すぎて、体をその隙間に入れることが出来なくなった。
一応行けるところまで、来たのだから、それで満足するしかないと思い、三島は上へ戻ることにした。
そして、無事一階の通路が見える防火扉の前まで上りきった。衣服は埃や蜘蛛の巣の糸で白くなっていた。
防火壁のレールを跨ぎ、通路に出て、スーパーのフロアに出た。そして、中庭に面した出入り口から自転車置き場へ。
そこは屋外だ。空は青く、植え込みの緑も輝いている。
その後、三島は、あの下へ向かう階段に足を踏み入れていない。
以上が、この階段話のすべてだ。あり得ない話なので、真相を説明する必要はないだろう。
了
2012年6月5日