小説 川崎サイト

 

人形奇譚

川崎ゆきお


 沢田は自転車で町内をうろうろするのを日課としていた。それにはコースがあり、飽きないように複数のルートを用意していた。しかし、多用するコースが出来てしまう。特に変化を求めない日は、お気に入りのコースを走るようだ。
 要するに、常に同じコースを走っているわけではなく、たまには別の道も選ぶということだ。
 たまに入ったルートで、妙な場所に入り込み、出られなくなった、という話ではない。もしそんなことがあれば、沢田は大喜びだろう。
 自転車でうろうろしているとき、周囲の風景も見ている。だから、雰囲気のいい場所を巡るコース取りになっている。
 ある日、自転車散歩の帰路中、妙なものを見た。
 それは巨大な排水溝で、大雨が出たとき用に作られたものだ。溝と言うより川に近い。昔は田圃に水を入れる潅漑用水だったが、それを拡張し、高さ三メートル幅五メートルほどの溝が掘られた。この規模は運河だろう。土地の人は金岡用水と呼んでいる。
 運河の左右に歩道や道路が出来ており、見晴らしのいい川縁のため、沢田は散歩コースの中に取り込んでいる。
 その川底に人形が落ちているのだ。雨が降らなければ、この運河の水位は非常に低い。長靴程度で渡れるほどだ。人形は何かに引っかかったのか、そこにとどまっている。浮くほどの水量はない。川底に腹を付けている感じだ。
 運河はフェンスで囲われ、中に入ることは出来ない。フェンスをよじ登れば、川に入れるが、そのときは七メートルほどの高さになる。
 人形はうつ伏せ状態で止まっていた。金髪の西洋人形。ミルク飲み人形だろうか。子供がお人形さんごっこで使う、よくある人形だ。
 長田は、ドキリとした。見覚えがあるためだ。
 それは、この運河の上流にある家で見たのだ。しかし、よくある人形だ。金髪でピンク色のワンピースを着ている。
 長田が上流で見た人形は、出窓に飾ってあった。その家は、ふつうの一戸建ての家だが、かなり古い。そして、空き家ではないかと思えるほど、人の気配がない。それが洋館なら、そちら側の話になるのだが、ただの住宅地の中にある古びた一軒だ。
 運河沿いの歩道から、その家の出窓がよく見える。そこに人形や花瓶が置かれていた。
 自転車散歩コースで言えば、そこはたまに通るルートだ。運河に沿う車道と歩道がなくなる手前だ。つまり、新しく掘られた運河の出発点だ。その上流はそれまであったかどぶ川に戻ってしまうため、沿道は行き止まりとなる。
 沢田は、ここを走るとき、必ずその出窓の人形を見ていた。人形はいつも後ろ向けだが、たまにこちらを見ていることもあった。だから、家人が置き直すのだろう。それで、空き家説が覆るのだが、人の気配を感じるのは、この人形だけだ。放置家屋かもしれない。たまに持ち主が様子を見に帰るのだろうか。
 この家を建てた夫婦は、もう亡くなっており、子供がたまに家の様子を見に帰る程度。そのとき、その子供が、今はもう立派な大人だろうが、子供部屋に入り、その人形を、ちょっといじり、また戻す。そのとき、置き間違えて、人形が窓を向いてしまったのかもしれない。
 しかし、これは沢田の想像だ。
 確かめる方法がある。つまり、あの運河沿いにある出窓を見に行けばいいのだ。そして、人形がなければ……
 沢田はぞくっとした。これぞ待ちに待った大きな変化であり、異変だ。
 運河沿いにまっすぐ行くと、橋があり、それを渡ると沢田の家に戻る。本来の散歩コースだ。今回は非常事態として、直進する。運河の上流へ向かうためだ。これは沢田にとり、喜ばしい非常時なのだ。楽しい非常時なのだ。確かにゾクッとしたが、そんなことがあるはずはない。
 そんなこととは、出窓の人形と運河の人形が同じものだということだ。全く可能性がなくはない。あれば非常時だ。だから、今は非常時の手前を楽しんでいる。
 そして、上流の道が狭くなり、やがて、行き止まりになる手前に、あの家が見えた。行き止まりには橋が架かっている。
 そして、出窓を見た。
 人形はなく、その右の花瓶しかない。それよりも沢田を驚かせたのは、窓硝子だ。割れているのだ。
 これは結果にしかすぎない。だから、沢田の想像域に属する事柄になるが、人形は何らかのトラブルに巻き込まれ、窓硝子を割って脱出したのだ。
 または、悪い人形のため閉じ込められいたのを、何かのきっかけで封印が解け、硝子を割って外に飛び出した。そして、運河に落下し、流されるまま、下流へ。だが、そのとき、もう人形は動けなくなってしまった。そして、俯いた状態で果てた。
 沢田は想像を巡らせた。出窓のあるこの空き家のような家は、実は悪霊の館で、人形もそれに感化されたのではないか。または、中の悪霊が人形に乗り移り、硝子窓を割って外に出た。
 しかし、硝子が割れたのは偶然で、また、人形が消えたのは、家の人が、持ち出したか、移動させただけのことかもしれない。
 窓硝子が割れているだけでは、事件にはならない。
 沢田は、そこから先、何もできないため、自分一人の怪談として、締めくくることにした。事実を見てしまうと、怪談でも何でもなくなる。むしろ事実を知る方が怖い。今なら、まだ不思議な話として扱える。
 それに、これが本物の人形奇譚なら、関わらないほうがいいだろう。
 沢田は、神秘を残したまま行き止まりの橋を渡り、Uターンした。
「待てよ」
 沢田は、また何かを想像したようで、ペダルを急いで踏み、下流へ向かった。あの人形が落ちていた場所へ。
 しかし、人形の姿はもうなかった。緩い流れしかないため、流されても、それほど遠くまで行かないはずだ。
 沢田は、散歩コースから完全に離れた下流まで下るが、人形の姿はない。
 これはやはり、何かがあったのだ。
 現実として考えられるのは、誰かが人形を引き上げたのだ。沢田が出窓のあるあの家との往復中に。
 
 それから、しばらく経過した。沢田は気になるので、あの出窓のある家の前を毎日通っている。
 あれが起こってから一週間目に新しい硝子がはめられていた。そして三ヶ月後、出窓に人形の姿があった。
 人形奇譚があったのか、なかったのかは曖昧だ。
 
   了

 


2012年6月6日

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