小説 川崎サイト

 

幽霊の正体

川崎ゆきお


 妖怪博士と幽霊博士とが会話している。駅構内にあるパーラーのカウンターだ。
 妖怪や幽霊は狭い世界だ。そして学校の教科書には載っていないジャンルだ。逆に妖怪の授業、幽霊の授業があると妙な具合になる。教員が足りないという話ではなく、存在していないものを教えるわけにはいかないからだ。
 二人はたまに連絡を取り合っている。仲がいいのではなく、狭い業界なので、嫌でも顔を合わすのだ。
「あなたは妖怪専門のはずだが、最近幽霊ジャンルにも手を出されている。これは侵犯ではないか」
 先ずは幽霊博士のクレームから始まる。
「いや、そんなつもりはありません。ただ……」
「ただ?」
「ただ、依頼人が妖怪ではなく、心霊関係の話を始めることがあるので、これは私は専門が違うからと言って、聞かないわけにはいきません」
「そういうときは、僕にすぐに振って下さい」
「はいはい、今後そう致しましょう」
「お願いしますよ。その代わり、僕の客で妖怪の話になれば、あなたに連絡します」
「いやいや、それは結構です」
「結構とは、それはよいことだ、という意味ですか」
「いえ、受けられませんという意味です」
「じゃ、僕は妖怪の話を引き受けてもいいんですね」
「ご随意に」
「じゃ、ここの、コーヒー代。今日は僕が出します」
「幽霊博士、あなた困っておられるのですか」
「困る? 何が?」
「一人でも客を多く取ろうとなされているようなので」
「困ってはいません。だから、あなたの分のコーヒー代を払うって、言ってるでしょ。それぐらいの余裕はあります」
「それより、今日は何でしょう」
「雑談を楽しみたいと思いまして」
「それは、幽霊博士としては珍しい」
「少し発見がありましてね」
「それは、是非聞きたいですなあ」
「金は取りません。雑談ですので」
「はい」
「話というのは他でもない。幽霊の正体が何となく、おぼろげに分かってきたのです」
「それは、ノーベル賞ものじゃないのですかな」
「妖怪博士、ノーベルには、そのジャンルはないと思いますが、科学的に証明できれば、あり得るかも。しかし、僕が考えたのは、科学ではなく、ただの思いつきでして。だから、雑談です」
「それで、幽霊の正体は何でした」
「正体というより、見え方が何となく分かったのです」
「見え方」
「そうです。妖怪博士」
「はい、続けて下さい」
「幽霊は目で見ているわけではないということです」
「はい」
「幽霊は、この目玉で見ているわけではないと言うことです」
「繰り返しです」
「失礼」
「脳で見ているわけですな。これは、妖怪も同じで、明治以降、外部説と内部説の中で、内部説がメインになりました。じゃから個人の頭の中に妖怪がいるということです。幽霊もそうなんですな」
「幽霊の正体ではなく、見え方です」
「見え方ですか」
「ふと夜中、目覚め、便所へ行く。そのとき襖を開け、廊下に出る。そこに幽霊がいる。そう仮定しましょう。廊下は現実で、目で見ています。目玉で見ています。しかし幽霊は、頭の中の目で見ています。これが重なっているのです」
「レイヤー説ですな」
「ユーレイとレイヤー。確かに近い。幽霊は透明な硝子板のようなものに書かれた絵だと思えばよろしい。または、幽霊の絵を書いた眼鏡をかけたと思えばよろしい。書かれているのは幽霊の箇所だけです。だから、背景は透けて見える。この場合、リアルな目の玉で見たものが背景としてくる」
「つまり、合成ですか」
「そうです妖怪博士」
「ある部屋で幽霊が出た。他の人には見えないが、霊能者には見える。そのレイヤーで見ているのです。これをフィルターと呼んでいます。カメラのレンズの前のネジ径に付けるあのフィルターですよ。ソフトフィルターや、霧のようにぼやけるフィルターがあるでしょ。あれと同じものです。霊能者は、そのフィルターを天然に持っている人のことです。まあ、幽霊が見える眼鏡と言い換えた方が分かりやすいでしょう」
「幽霊博士」
「何ですか」
「もう少し小さい声で」
「ああ」
 幽霊博士は、カウンター内の女店員を、ぐっと睨み付けた。店員は盗み聞きしていたわけではなく、聞こえてくるのだから、仕方がない。
「では、続けます。今度は小さな声で」
「はい」
「一方は目玉で見て、一方は脳の中で見ている。それが重なっている。そういう話です。だから、部屋の中にいる幽霊のいる場所というか方向が分かるかどうかが問題になります」
「方向ですか」
「そうです。脳の中の映像は、どれだけ目玉でライブで見ている現実風景と絡んでいるかです。参照しているかどうかです。そして、現実マップ上の何をきっかけとして、位置を割り出すかです」
「でも室内に幽霊がいるのでしょ」
「問題はそこです」
「はい」
「幽霊の背景です」
「少しややこしいですなあ」
「幽霊だけの抜き絵、立ち絵だけなのか、幽霊世界の背景を持っているのかが問題なのです。おそらく、幽霊は立ち絵だと僕は思っていますが」
「じゃ、部屋の中にいる幽霊の位置は、霊能者が見たまんまの位置ですかな。椅子に座っているとかなら、合体しているわけでしょ」
「それそれ、それは非常にいい問いかけです。やはり、幽霊は背景付きじゃなく、切り抜きなんです。そして、透明色のようなものを持っている。これは霊能者のフィルター側の問題かもしれませんが、その切り絵の幽霊も半透明に見えたりします。幽霊がぼんやりしているのは、そのためです」
「はい」
「疑問点があるのなら、言ってください」
「いえいえ、続けてください」
「幽霊は脳内の出来事だとすると、現実の椅子に腰掛けている幽霊の姿勢に疑問が少しだけ生じます。この検証を飛ばすと、粗っぽくなりますからね。椅子は現実です。幽霊は脳内にあります。すると幽霊が座っているとなると、脳内にも椅子が必要でしょ」
「それは、幽霊が椅子を認識して、そこに腰掛けたため、そういうポーズになったのでしょ」
「いい、アイデアです」
「そうなんですか」
「これは幽霊の正体ではありませんが、幽霊が見える正体なのです。まだ、仮説ですが」
「それ以前の問題として」
「何ですか、妖怪博士。水を差しちゃだめですよ」
「脳内になぜ幽霊が登場するのでしょうな」
「それはまだ分からなくてもいいのです。幻覚を見る人がいるでしょ。あれと同じ症状です」
「では、幽霊博士もやはり幽霊は神経系だと」
「それは、断定しません。僕はメカニズム的仮説を追いかけているだけなので」
「分かりました。参考になりました」
「もう、誰かに喋りたくて喋りたくて、これですっきりしました」
「だめですよ幽霊博士、そこですっきりなされては、ご本を書かれるとき抜け殻になりますぞ」
「それはありません。書くときは、また別の楽しみがあります。語ると書くとでは違いますから」
「ちょいとこのパーラー」
「いや、店員は、隅っこで固まっていますから大丈夫」
「そうではなく、クーラーが効きすぎて寒いです」
「ああ、なるほど、僕も冷えた。出ますか」
「はい、そろそろお開きに」
 
   了


2012年6月7日

小説 川崎サイト