小説 川崎サイト

 

諦めない念仏

川崎ゆきお


「最近往生際の悪い人間が増えていますなあ」
「諦めない人間のことですか」
「粘るのはいいが、粘り切れるものではない。どこかで幕引きとなる」
「負けない心はどうですか」
「誰かが負けないと、ことは進まんでしょ。泣いてくれる人間がね」
「諦めない心とは、そのままのことでしょうか」
「そのままとは?」
「心の持ち方です」
「そうだろうね。だから、精神論だ」
「しかし、ずっと諦めないで、しつこく粘って、勝利をつかむこともあるでしょ。その場合、諦めないことはいいことだということになるのでは?」
「勝利の見込みのない人間まで言い出すから厄介なのだ」
「しかし、誰にでもその可能性があるとすれば、いかがですか」
「誰でも大統領になれる。これと同じだよ」
「努力すれば、なれるかもしれません」
「そうだね。可能性はゼロとは言い切れん。だが、可能性があるだけで、可能だとは限らない。どこかで見定め、見極めるはずだ」
「それは諦めることですか」
「それも必要だろう。しかし、考えなくてもやっていることだ」
「諦めなければ、未来に希望が持てるのではないでしょうか。これだけでもメリットはあります」
「そうだね。だから精神論だ。心の持ちようの問題で、何ら保証はない」
「諦めない心でいたのに、うまく行かなかった場合はどうなりますか」
「それが、ほとんどの場合だろう」
「だから、どうなりますか。精神的には」
「別に、どうもならんでしょ。精神的な変化などありません」
「なぜですか」
「精神論で成功するとは、最初から思っていないからですよ」
「じゃ、誰も信じていないと」
「題目ですからな。祝詞のようなものですよ。縁起物です」
「じゃ、迷信ですか」
「誰もが諦めないで、頑張っておる。だから、この題目は、唱える必要さえない。勝負はそんなところで決まらない」
「では長老は諦めない気持ちを否定するのですか」
「それを執着という。物事にとらわれている。何かにこだわっている。この状態は、よろしくない」
「でも、それが世間でしょ」
「世間に、妙な念仏が流行っておるだけのこと」
「では、諦念が正しいと」
「そちら方が保険としては強い」
「負けて元々というやつですか」
「元々じゃないだろう。ダメージを受けておるはず。元には戻らん」
「では、何がいいのでしょうか」
「知らん」
「分かりました。長老に聞いたけ、無駄でした」
 
   了


2012年6月9日

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