小説 川崎サイト

 

地上戦

川崎ゆきお


 梅雨の晴れ間、久保田は久しぶりに自転車で外に出た。部屋の中に閉じこもっていたわけではないが、買い物以外では外出しない。だから、最低限の外出だ。日課としての自転車散歩はあるが、長雨が続き、傘を差してまで自転車の乗るのは億劫だ。買い物なら仕方がないが、楽しい気分で走る場合、雨は楽しさではなく苦痛だ。しかし苦しいわけではない。雨の日、傘を差し、自転車に乗っていると、一種の閉鎖空間が出来る。傘で視界が狭まることと、行動範囲も狭くなる。最短距離で安全な道を選ぶ走り方になるためだ。
 ただ、その日は晴れており、久しぶりに楽しい走り方が出来そうなので、出かけることにした。
 雨の日と晴れの日とでは風景が違う。同じ道でも違って見える。ただ、その程度の変化は、変化とは言えない。気象により、風景の見え方が変化することは、普通の変化であり、当たり前のことなのだ。
 久保田はいつもの散歩コースに乗るが、そこにも変化はない。晴れているか雨か以外の変化を実は期待しているのだ。
 それは緊迫感、緊張感のある変化だ。
 これが戦時中なら、非常時でもあり、空襲警報も鳴り出す恐れもある。自転車で外に出るのも大変なことだ。敵が上空からいつ襲ってくるのか分からない。大きな爆撃機以外にも、偵察機が始終飛んでいる。そのグラマンを零戦が追いかけている。
 久保田は親戚の人から、そんな体験談を聞いていた。その人は軍需工場の帰り、自転車で走っていると、機関砲で撃たれたらしい。上からだ。弾が雨のように走ってきたので、横のどぶ川に飛び込んだらしい。
 嘘か本当かよく分からないが、それに近いことが日常の中であったのだろう。
 久保田はそれを期待しているわけではないが、そういった危機感のようなものが欲しい。
 そう考えていると、前方から来る自転車が戦闘機か、騎馬のように見える。このままだとぶつかる。普通はどちらかが避ける。だが、互いに正面を向いている。もしそこに機銃が仕込まれていれば、撃たれる。
 敵の機銃は下の方についている。そして銃口はこちらを向いている。避けないと、危ない。銃口はヘッドライトのようなものだ。ハンドルを切ることで角度が変わる。なので、敵の真正面が見えているということは、もろに弾を受ける。
 久保田はすっと横へ滑り、角度をずらしてすれ違った。どちらにしてもどちらかが避けないとぶつかるのだが。
 そして、至近距離で相手の自転車を見たのだが、機銃だと思っていたのは傘だった。傘を横に突っ込んでいたのだ。それが機銃に見えた。
 いや、この場合、久保田は無理に機銃と見立てただけのことだろう。
 そして、緊張感のない自転車散歩を続けた。ただ、自動車という大砲は常に飛び交っているので、気は抜けないが。
 
   了


   


2012年6月13日

小説 川崎サイト