小説 川崎サイト

 

ゾンビとハンター

川崎ゆきお


 ビルからどっと人が出てくる。
 ゆっくり歩いているタイプと、周囲を見回しながら俊敏に歩いているタイプとがあった。後者は何かを警戒しているようだ。前者はマイペースというか、恐ろしいほど歩みが遅い。そのため、普通に歩いている人とはかなり違う。だが、この前者も後者も特異で、尋常ではない集団だ。
 ただ、ビルから出た後、歩道でばらけていく。そして、ビルから離れるに従い、普通の歩き方に戻っていく。
 これはゾンビ映画を見た客が映画館のあるビルから降りてきたところだ。
「君はどちらのタイプかね」
「といいますと」
「ゾンビタイプかハンタータイプだ」
「僕はゾンビタイプかもしません」
「私はハンタータイプだ」
「それはどこで決まるのでしょうねえ」
「どちらに共鳴というか影響されたかによる。どちらが受け入れやすかだ」
「ゾンビは嫌ですよ。死人ですよ。共鳴したくないです。でも、真似はしたくなります」
「私は、そういうゾンビがいれば、狩り倒したくなる。まっとうな人間なら、そうするだろう」
「しかし、ゾンビは人間の本質を表していますよ。ハンターよりも人間らしいです」
「じゃ、ハンターの方が人間ぽくないと」
「ゾンビの惰性感は、社会人のそれですよ。むしろハンターの方が野生に近い」
「それは何だろうねえ」
「二つのタイプに分かれてしまうことがですか」
「そうだ。あの映画ではハンターが正義だ。そしてハンターたちがヒーローだ。だから、観客はハンターのはずだ。しかし、半数近くゾンビ歩きで劇場から出てきた。アンチヒーローにしては数が多すぎる。二分したと言ってもいい。半々だ」
「でも、全く感化されないで、普通に歩いていた人もいたでしょ」
「あまり、受けなかったんじゃないかな」
「影響されなかったと」
「いや、映画に入り込めなかったんだろう。つまり、受けがよくなかった。だから、感情移入もしなかった。そういうことだ」
「昔なら、ほとんどがハンターだったんじゃないですか」
「そんなことはない。西部劇では騎兵隊とインディアンは半々の受けだ」
「じゃ、それは昔から綿々と続いてきた何かですか」
「それは、理性度や野生度だけの問題ではない。おそらく、どちらにでもなれる。どちらにでも感情移入できる」
「しかし、今日の観客、ゾンビの方が多かったような気がします」
「今日のゾンビは強かったからね」
「ああ、なるほど。映画によっても違うんですね」
「私は映画とは関係なく、ゾンビを見ると、撃ち殺したくなる」
「僕は、ゾンビになってうろうろしたいです」
「君のその野蛮なところが怖いよ」
「あ、すみません。僕はおとなしいゾンビでいます」
「そうしてくれたまえ」
「はい、だから撃ち殺さないでくださいね」
「しかし、無性に始末したくなる」
「そんな気配があれば、噛みつきますよ。そしてあなたもゾンビになる」
「ああ、分かった」
「仲良くやりましょう」
「そうだな」
 
   了



2012年6月17日

小説 川崎サイト