家族社会学
川崎ゆきお
家の構造と、会社の構造、そして社会の構造が同じパターンであることが多かった時代がある。立派な家庭が、そのまま会社のモデルになり、社会のモデルになったような。
だが、それはいつの時代の話だろうか。また、そんな時代があったのだろうかと疑問を感じる。
橘は社会学者だが、社会学の範囲は広い。何でも下に社会学と付ければ、すべてのことが社会学になってしまう。ただ、この場合、人を扱うことが多いため、人や動植物などの生命体が出てこないジャンルでは、何々社会学とは言いにくいようだ。
橘は家族構造社会学の専門家だ。構造と社会は重なっている感じがある。そのため、ずいぶんそのことで橘は悩んだ。
家の構造、つまり家庭をそのまま延長して会社に当てはめると、大変な間違いが起こる。
そのため、橘の研究は、その違いを見ていくことだった。そして、家族的な会社や社会は弊害が多い。それを正すには、親子関係ではなく、子供同士の関係で成立している社会へ向かうべきだと。
つまり、ピラミット式の血縁関係ではなく、せいぜいいとこ同士の淡い関係で、本家と分家がない関係。
そうなると、フラットな他者集合体で構成された社会になる。
しかし、ここからが橘説の始まりなのだ。それは、フラットな人間関係においても、親的なものが出てくる。疑似親だ。
動物の世界では、体がでかく、力が強いものがリーダーになることがある。それと同じことが、社会でも起こっているが、それは動物的な力ではなく、もう少し姑息なものだろう。
だが、動物的な強さが優位なのではないかと橘が感じたのは風呂屋、つまり銭湯での発見だ。
すべて脱ぎ去った裸の世界では、マラの大きなものが強い。まるで前から尻尾が生えているように。
これを橘は逆カンガルーと呼んでいる。こいつがやはり強いのだ。そこで序列ができてしまう。
「立派なものをお持ちで」のあれだ。
この野性的なものが、どの程度人間社会内で通用するのかは、計り知れない。計測したわけではないからだ。
だが、顔は小さいより大きい方が押し出しがある。歌舞伎役者で受けがいいのは、大顔だ。客席の後ろからでもよく見えるからだ。
人間には尾てい骨がある。人間には尻尾はないが、その痕跡が残っている。猿にはある。
尾てい骨の長さは外形からでは測れない。レントゲンが必要だ。根のようなものだ。これも関係しているのかもしれないが、尾てい骨の長さとリーダーの関係は未研究だ。
要するに、一つの構造からだけでは解き明かせない。複数の構造が重なっているためだろう。
しかし、橘は家族構造社会学者なので、浮気はできない。
そして、この浮気という言葉も、家族と関係している。
了
2012年6月24日