小説 川崎サイト

 

点火

川崎ゆきお


 吉田は穏やかで淡々とした日々を過ごしている。それは同じことの繰り返しの日常なのだが、それに乗ると安定する。いつものポジションであり、いつもの動き方でいいからだ。これは自動化されたオート世界なのだが、人間はナマモノなので、自動操縦は出来ない。ただ、それに近い動きはある。それは自転車を踏む動作だ。自転車を踏みつけるのではない。そんな日常などあり得ない。自転車ばかりの廃品を整理する仕事なら、あるかもしれないが。そうではなく、ペダルを踏む動作だ。これはペダルに限らず、徒歩そのものも、自動的に足を出している。歩いていること、ペダルを踏んでいることを意識しない限り、オート化される。当然停まったりすることも自動的に決まる。反射神経のようなものだ。
 だが、そんな吉田の日常だが、たまに変化がある。これも人生規模の変化ではない。日常内での話だ。
 それはいつものように自転車に乗り、しばらく走ったところで、ブレーキをかける。またはペダルを踏まなければ、そのうち止まる。その定位置は決まっていないが、止める場所がある。誤差的には十メートルほど幅がある。だから、そこで自転車を止める必要はそれほどない。三十メートル先でもいいのだ。だが、風景を見ながら、そろそろかな、という辺りでペダルを緩める。
 そして、止まるとポケットから煙草を取り出す。煙草を吸うためだ。点火地点はいつも同じだ。ただ十メートルほどの誤差はあるが。
 煙草を吸うタイミングは、特に決まりはない。自分で決めているわけではないが、走り出してから、少し間を置いたところと決まっている。これも決めたわけではないが、そうなっている。
 そしてライターで火を点けようとしたが、点かない。風が強いわけでははない。この場合、ガス欠なのだ。
 後で思うと、これがその日にあった吉田にとり最大の変化だった。ライターの火が点かない。そんなことが一日の中での主な出来事になるほど平穏なのだ。
 ガス欠であることは、何となく予測していた。しかし、それを回避する手立てはあったはずだ。そして、そうならないようにしたはずなのだが、不測の事態となった。
 ライターがガス欠近いことは知っていた。そのためまだよく点くライターを主に使っていた。そして部屋を出るとき、そのよく点くライターをポケットに入れたつもりだった。このつもりが間違っていた。よく点くライターとガス欠ライターの色が違う。青と緑だ。だが、しっかりと認識していたわけではない。
 だが、部屋を出るとき、ある程度それを意識して、ライターと煙草を手にし、ポケットに入れた。
 煙草とライターはテーブル近くにある。椅子からすぐ手の届く位置だ。だが、それを手にしたのは立ち上がってからだ。もし座っている状態で、ライターを取ったとすれば、点く方を確実に選んだろう。立ち位置の違いで、二つのライター位置かが変わったのだ。その前に、絶対に忘れてはいけない眼鏡を、眼鏡ケースに入れ、それを鞄の中に入れている。重要度はそちらのほうが高い。眼鏡を忘れることのほうがより困るためだ。だから、二つのライターをより厳密に調べないで掴んだのだ。しかし、よく点くライターと、点きにくいライターの違いがあるだけで、どちらでも使えるのだ。まだ完全にガス欠状態にはなっていないので、部屋の中ではどちらも使っていた。完全に点かなくなったライターは別の場所に置いている。これははっきりと区別出来る位置だ。しかし、まだ使えるライターは、その墓場へはまだ持って行ってなかった。
 あと数回は使えるライターだった。それが十回なのか、一回なのかは分からない。既に液体は見えていない。しかしその状態でもまだ使えるのだ。
 そして、部屋の中で、そのあと一回をやってしまったようで、自転車の上で火を付けようとしても点かなかった。三回ほどパチンパチンとやっただろうか。
 さすがに四回目は無理だと諦めた。ライターを売っているコンビニへ寄ると、遠回りになる。それにそのコンビニは吉田の日常範囲内には入っていない。馴染みのないコンビニで、それにそのオーナーがたまに話しかけてくるのも嫌だった。
 そうすると、目的地まで我慢して走り、そこで買うしかない。
 しかし、吉田はまだ最後の手を使っていなかった。それは、こういうときのために鞄の中に予備のライターを入れていたのだ。しかし、その最後の手段は一回やってしまい、鞄にはないことを知っている。だが、二つ入れていたこともあるので、探せば見つかるかもしれない。
 結果的にはライターは鞄の中からは出てこなかった。
 それでも吉田は諦めない。ここで煙草の火を点けないと、日常が変化するのだ。
 そして、最後の最後の手段として、ライターの炎調整のギザギザを最大出力側に合わせた。
 そして、手のひらで囲いながら、パチンと弾かせた。
 すると、着火した。
 吉田はすぐに煙草を吸い込み、火を点けた。くどい話だが、ライターの火が点いても、まだ煙草の火種にはなっていないからだ。
 そして、無事煙草を吸い、煙を吐き出すことに成功した。
 
   了


2012年6月28日

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