小説 川崎サイト

 

有機物

川崎ゆきお


「あれっ」と牧田は感じだ。ちょっとした違和感がある。しかし、大きく違う異変ではない。ちょっとした変化なのだ。これは同じ絵の一部だけを変えて、その間違い探しをするようなものだ。一見して、同じ絵だと感じる。だが、それがクイズだとすれば、賢明に探すだろう。印象は同じなのだ。よく見ないと分からない。
 それに近いものを、散歩中、牧田は感じた。いつも通る小道なのだ。それは草花の変化ではない。人と建物だ。
 変化したものは消えたわけではない。その建物は確かにそこにある。だから、違和感はなかった。
 それは畳屋の作業所だった。牧田はその前を通るようになって二十年ほどになる。毎日ではないが、よく通る。ただ、牧田は畳屋には用はない。畳を買うなどは思案外だ。常に畳のことを気にし、畳をいつ買い換えようかと考えているわけではない。畳が汚れれば、上敷きを敷けばいい。その程度だ。それに畳はホームセンターで安く売られている。一人でも敷けるほど最近の畳は軽い。だが、汚れた畳を捨てないといけない。これが面倒なので、畳屋に来てもらうのだろう。
 その畳屋が妙なことになっている。それに気付いたのはいつかは分からない。かなり前からだろうか。
 畳屋の作業所はトタンで囲んだだけの小屋だ。それが歩道の前にぽつんとある。小屋なので、人はそこには住んでいない。だが、一応店なのだ。看板も大きく出ている。
 それとなく分かったのだが、シャッターが閉まっていることだ。その状態はよく見かけた。週に何度か閉まっているのだ。だから、シャッターの閉まっている畳屋も、日常風景の中にある。しかし、それが長期間に及ぶと、「もしかして」と考えてしまう。それまでにはかなり間があるのだ。その間が今牧田に来た。このあたりで気付くタイミングなのだ。
 どうも連続して閉まっているらしい。
 この畳屋の主人は老人というほどでもない。牧田よりは年上だが、不思議とこの人とは挨拶をする。相手は職人だが、腰の低い商売人でもあるようで、牧田が挨拶すると、相手も応えてくれる。それを何度も繰り返すうちに、畳屋の方から挨拶するようになっていた。
 牧田はこの辺りの人間ではない。地元ではない。だが、そこに一人でもいいから顔見知りがいると安心だ。それが、この畳屋だったのだ。
 夏場はトタンの小屋が暑いためか、外の歩道で休憩している。だから、前を通ればよく顔を合わせるのだ。また、そのお仲間のような同級生のような人たちがたまに集まり、歩道で将棋などをさしている。
 このメンバーは、この土地の神社の秋の祭りでは御神輿を引っ張るメンバーでもある。二十年ほど牧田は、その前を通るので、二十回とはいかないが、十回以上は、その御神輿行列を見ている。
「あれっ」という違和感を感じてから、一週間後、それが本物であることを確信した。シャッターは閉まりきったまま、同じ状態を維持している。病気で入院しているのか、それとも畳屋ではやっていけないので、廃業したのか、それは分からない。
 ただ、前を通れば、挨拶をしてくれる人がいなくなったのは残念だ。
 そういう有機物が消えたことになる。
 ただ、この先数ヶ月後、またあの畳屋が、店の前で休憩しているかもしれない。先のことは分からない。

   了


2012年7月3日

小説 川崎サイト