小説 川崎サイト

 

低調な人

川崎ゆきお


 低気圧が停滞し、雨が降り続き、低調な気分に佐久間はなっている。
 ただ、気分が落ちているのは、天気が悪いだけではなさそうだ。なぜなら、佐久間はいつも低テンションなのだ。この低いベースが佐久間のペースであり、物事をいつも冷静に判断できるのも、そのおかげだ。要するにはしゃがないという程度のことだが。
 確かに佐久間にも事柄により、はしょることもある。ただ、動作が遅いため、急いでいても、ゆっくりとなる。この欠点を補うため、冷静沈着な方法へ、思いっきり振り切ろうとしている。これは一種の賭だ。いち早く物事を決め、素早く動く方が得なことがある。それを佐久間はあきらめることにした。柔軟な対応もいいのだが、それは中途半端になる。やはり、自分が一番得意とする方法が落ち着く。
 急がば回れと言うこともあるが、本当は急ぎたいのだが、スピードが遅いので、間に合わないのだ。だから、急ぐのをあきらめて、最初から回り道をすることにしている。これは好き好んでやっているわけではないが、佐久間にとり、こちらの方がやりやすい。
 そのため、これは佐久間の主義主張ではなく、ただの相性であり、性分にすぎない。
 そして、今日の佐久間は窓から雨を見ながら思案している。出かけるべきか、どうかをだ。
 乾電池が切れている。これが気になっているのだが、外に出たとき、買おう買おうと思いながら、ついつい忘れてしまう。忘れる程度なのだから、その程度のことなのだと、佐久間流に解釈するのだが、最近、物忘れがひどくなり、これは、もう佐久間のオリジナルな動きとは別のものになりつつある。
 物忘れがひどくなるのは、昔のことを思い出すことが多いからだ。また、考えることが多岐に及び、頭の内部メモリーを占有してしまう。そして、佐久間の演算装置は人並み以下の遅さなので、処理に時間がかかるのだ。
 昔、初めて八百屋で大根を買ったことを、急に思い出したりする。それはどういった状況で、買いに行ったのか、その八百屋のおばさんは、今どうなっているのか、きっともう息子の代になり、ひょっとすると孫がやっているかもしれないし、それ以前に廃業しているかもしれない。そういったことを考えていると、多くのメモリーを使い、乾電池のことなどどこかへ飛んでいるのだ。
 雨を見ながら佐久間は思案している。ここでは雨についての思い出を手繰っているのではなく、雨足を見ている。やみそうなら、やんでから出かけたい。しかし、それは予測できない。天気予報では、一日雨となっている。しかし、小雨になったり、一瞬だけ降り止むことがある。
 そんなことを考えている間に、もう近所のコンビを往復できる時間が経過している。乾電池も買って帰れるほどの。
 乾電池は夜中トイレに行くときに使う懐中電灯用のものだ。やや大型のペンライト程度。これがないと暗くてトイレへの道筋が見えないわけではない。電気をつければいいのだ。しかしそれでは明るすぎる。決して節電のためではなく、眩しくて、目が完全に覚めてしまうためだ。
 だから、それほど明るくないペンライトの光が好ましい。
 風林火山の御館様ではないので、山は動かないと、気張っている場合ではない。ここは風のようにコンビニへ行くべきだ。
 そして、雨の中、佐久間は乾電池を買うことに成功した。
 だが、帰ってみると、弁当を買い忘れた。そちらがメインだったのに。
 だから、一つのことばかりに気を取られて、それに向かって突き進むとろくなことにはならない。
 乾電池を買い忘れるリスクの方が、まだましなのだ。
 佐久間はやはり、自分の低調なペースを守るべきだと、思い知らされた。
 
   了


2012年7月4日

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