小説 川崎サイト

 

卵割り

川崎ゆきお


「ここは心霊ものも扱っているのですね」
「はい、看板通り、ここは心霊内科です」
「幻覚ではなく、本物を見てしまった、でもいいのですね」
「はい、ご随意に」
 客はトイレのドアを開けると坊主が大便をしていたのを見たと語った。
「それは厠坊という、よくある妖怪ですので、気にしないでください」
「はい、それはもう、気にしなくなりましたが、今度は卵です」
「トイレで卵が大便しているのですか」
「巨大な卵です」
「トイレのタイプは」
「洋式です。座るタイプです」
「そこに乗っているのですか」
「便器の穴より幅があるので、ちょうどお尻ほどの大きさです」
「そこは卵を置く場所ですか」
「違います。そんな大きな卵を置く装置なんて、誰も考えないでしょ。だから市販されていないはずです」
「当然ですね。愚問でした」
「それで、無性に腹が立ち、木槌で叩き割りました」
「木槌をお持ちで」
「金槌を買うつもりでしたが、音が穏やかな木槌にしたのです。その木槌をトイレ横、そこに下駄箱があるのですが、その中に入れていたんです。道具入れ兼用でして」
「詳しい説明、ありがとうございます」
「すると、汚いことに」
「本物の卵だったのですね」
「白身も黄身も汚い。トイレの中なので、そう感じるのかもしれませんが、卵ってちょっと生々しい臭いがしますねえ。何となく内蔵のような」
「そうですねえ。私も卵焼きを作るとき、お椀の中で卵をかき混ぜるのですが、あまりいい感じがしません。だから、ほとんど目玉焼きです。あ、これはよけいなことです」
「話を戻してもいいですか」
「あり得ない大きさの卵なので、これは実在性はないと思います。それに、もし仮にそんな大きな卵が存在していたとしても、トイレには置かないでしょう。また、僕がもし、それを手に入れたとしても、決して便座には置きません」
「はい」
「これは幻覚でしょうか。それとも別な存在物でしょうか」
「別な存在物?」
「はい、妖怪かも」
「小さなものが大きく化ける。この化け方は妖怪らしいですなあ。あなたもご存じのように妖怪とは人が想像したものです。だから、何でもありなんです」
「宇宙からのメッセージでは」
「何を伝えにきたのでしょうねえ」
「亜空間から、さっと便器の上にワープしてきた……とか」
「つまり、着陸装置だと思ったのでしょうかな」
「そうです」
「じゃ、世界中の洋式便器の上に、大きな卵が次々と着陸していないとおかしいでしょ」
「じゃ、やはり幻覚でしょうか」
「その卵、どうなりました」
「ぐちゃぐちゃになったまま、タイルにこびりついています。皮はかなり太いです。よく割れたものだと思いますよ。そういえば、一撃ではなく、何度も叩きました。横の方を叩いたのが効いたのでしょう。そこが割れました」
「じゃ、タイルに生卵のどろどろと皮が、今も散乱しているのですね」
「どろどろは、排水穴に流し込みました。しかし、粘っこいので、なかなか通りませんでした」
「じゃ、今は消えたのですね。その壊れた卵は」
「はい。掃除しました。だって、そうしないと、便器により付けないでしょ」
「ああ、そうですねえ。生活がありますからねえ」
「そうです」
「じゃ、今日はこのへんで」
「ちょっと、待ってください先生。この意味を知りたいのです」
「幻覚だとすれば、その元になっている意味のようなものが知りたいわけですな」
「そうです」
「あなたは卵が好きですか」
「普通です」
「べとべと、どろどろ、ぬるぬるとした粘膜、粘液ものはお好きですか」
「普通です」
「その卵を最初見たとき、何を思いましたか」
「大きな卵だと思いました」
「だから、それは卵になったのですよ」
「はあ」
「最初、それを見たとき、風船だと思えば、風船になります」
「はい」
「それだけのことです。だから、卵には意味はないのです」
「じゃ、僕の印象だけの話なんですか」
「そうです。その他のディテールは現実のものと同じです」
「はい、確かに」
「そして、頭の中で、つぶれた卵を掃除したのです」
「それが事実だとしても、そんなリアルな幻覚ってあるでしょうか」
「幻覚は実在します。そこで見えたり聞こえたりしているのものは実在しませんがね」
「病気でしょうか。治療方法はありますか」
「その方面での病歴はありますか」
「ありません」
「今まで、その種のものを見たことは?」
「錯覚はありますが、こんな生々しい幻覚は初めてです」
「何か薬を飲んでますか」
「そんな副作用のあるものは飲んでいないと思います」
「じゃ、嘘でしょ」
 客は黙った。
「まあ、お話は一応聞きました。これでよろしいかと」
 客は静かになっている。
「そういう話、したかったんでしょ。確かに聞きました。これで、すっきりしたでしょ」
 客は頷いた。
 
   了


2012年7月8日

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