小説 川崎サイト

 

武田の思想

川崎ゆきお


 人は、自分の考えがあるようでない。むしろない方が好ましいのではないかと武田は考えた。これが武田の自分の考えだとすると、自分の考えがないことが武田の考えということになる。考え方の枠組みを考えるとき、そういうこともあり得る。
 それは無思想という思想だ。しかし、それは思想なのだ。だから、思想をなくしているのではない。より巧妙な思想なのだ。
 だが、武田の場合、それほど高度なことは考えていない。もっと俗っぽく、そして現実っぽい。
 それは、自分の考えを言うとまずいことになるときは言わない。言える環境ではないと、何も言えない。自分の考えを言うと周囲から反感をかい、居心地が悪くなる。だから、考えはあっても言えないのだ。これは配慮というより保身だろう。
 それに、自分の考えを述べたとしても、何も変わらない。その先が分かっているので、言わないのだ。考えを感想文のように語るだけならいいが、言った限り、その考えが通るようにしてほしい。それが最初からかなわないのなら、言わない方がいい。
 つまり、武田には考えがないのではなく、その考えを言える状況ではないのだ。まず、それを先に考える。枠組みの上位の発想だ。
 その武田も、立場が違うと、考えも変わることを知っている。考えは状況や背景から押し出されるのだ。
 状況が許せば、自分の考えを思う存分発揮できるはずだが、実際にその立場に立つと、以前持っていた思いや考えが消えている。出世したり、レベルが上がると、別の考えが出来てしまう。
 武田は、実際には言わなかった自分の考えを日記に書き込んでいた。数年間なら通じるが、数十年前になると、何にこだわっていたのかが分からないほど遠いものになっている。
 しかし、共通して言えることがある。それはやはり保身なのだ。殆の考えが防御のための何かなのだ。
 だから、以前の状況では通じるが、今では通じない。つまらなくさえ思える。
 やはり、状況が変われば、考え方も変わる。実に単純な話で、それは誰でもそうなのではないかと思えるほどだ。
 立場により、考え方が違う。
 それらの考えとは、やはり保身そのものではないかと武田は考える。このとき、武田が考えているのは、実践は伴わない。ただの感想だ。机上論だ。そこだけは、何とか武田らしい考え方が出せるようだ。
 
   了


2012年7月16日

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