小説 川崎サイト

 

後三年の役

川崎ゆきお


 岩田老人の歩き方は独自だ。特に創意工夫したわけではない。その歩き方で、最近市民憩いの館へ通っている。季節は夏。炎天下だ。
 野犬やイタチの道があるように、岩田老人にも道はある。人生の道ではない。日陰を選ぶのがうまいのだ。そのため、遠回りになる。
 さて、その歩き方だが、見た目はヘタっている。前屈みになり、前に倒れそうになる瞬間、足が出る。このとき、力はほとんど使っていない。引力や重力を利用し、関節だけで足を動かしている感じだ。
 同じ日陰の道を歩いている老人と比べても、スピードは半分だ。だが、ある距離に達すると、その競歩系老人も、ヘタりだし、岩田老人のような歩き方になる。そうなると、休憩しているようだ。それを岩田老人は追い越す。
 相手はもう、歩いていないのだから、当然追い越せるのだ。
 つまり、岩田老人は最初からヘタった状態を維持したまま歩いているのだ。そのため、休憩は必要ではない。歩きながら休んでいるようなものなので。
 そのため、いくら歩いても、疲れはほとんどない。
 しかし、その状態でいくらでも歩けるわけではない。呼吸や筋力ではなく、足の裏が痛くなるのだ。マメができ、その痛みで歩けなくなる。だが、それはかなり長距離の場合で、半日ほど歩き続けた場合だ。そんな用事は岩田老人にはない。
 目的地である市民憩いの館までは小一時間ほどの距離だ。ふつうに歩けば半時間以内、若い人だと二十分程度だ。ただ、若い人は意外と歩かない。そんなところで時間を浪費するのがもったいないためだ。
 憩いの館は郊外にあり、不便な場所なので、バスか自転車で来る人が多い。駐車場がないので、車では来にくい。
 岩田老人が市民憩いの館に来るのは、水飲み場としてだ。実際には冷えたお茶は無料で飲める。しかも館内は涼しい。
 憩いというより、休憩所で、そこで一服し、また戻るのが岩田老人のコースだ。
 市民憩いの館は一種のコミュニケーションセンターだ。集会所のようなものだが、市営なので公共性が高い。町内の寄り合い場ではないのだ。
 岩田老人は、そんなところで、交流する気はない。しかしそれ以前に、最近人が寄りつかなくなっている。戦争があったからだ。
 後三年の役と呼ばれている。大きな戦争があり、その三年後に、また勃発したからだ。
 最初の戦争は、市外から来た怪しいセール系戦士と、地元親玉との戦いだ。これは、地元が勝った。
 勝った地元親玉は複数の軍閥からなっていた。これが三年後に火蓋を切る。要するにボス猿の睨み合いが続いているのだ。その難を避け、一般の人は寄りつかなくなっている。後三年の役とはこのことで、実は今も続いている。だから、岩田老人も、とばっちりを避けるため、長居はしない。冷えた麦茶を飲んで、さっさと帰っている。
 地元軍閥は三つほどあり、三つ巴の戦いで膠着状態が続いている。一方が勝利しかかると、別の軍閥が勝たせないようにする。その軍閥が覇権をとろうとすると、劣性だった軍閥が、また連合し、逆転を狙う。裏切りは世の常とばかり、戦国絵巻が繰り広げられている。
 岩田老人はそれをコミュニケーションだと思っている。
 市民憩いの館内で、騎馬戦をやっているようなもので、この交戦が、究極の憩いなのかもしれないと。
 
   了

 


2012年7月17日

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