小説 川崎サイト

 

神世坂

川崎ゆきお


 神世坂を上ると、そこはふつうの住宅地が続いている。それなりに古い町並みだが、歴史的家並みではない。しかし古くからあるような下町だ。家々は立て替えられたのか、今風な組立住宅が多い。煉瓦の壁は合板で、石垣まで、合板だったりする。パンと叩けば、たわみそうな家々だ。プレハブ小屋とそれほど変わらない。しかし、こちらの方が丈夫で、機密性や耐水性、防音防水性も優れているのかもしれない。
 高橋は神世坂の「神世」が気になっていた。神世坂は生活道路のように狭い。しかし、昔からあった幹線道路だろう。
 神世坂を上がると住宅地になるのだが、そこが神世という地名ではない。また、神世という地名は近くにはない。坂の名前だけが神世なのだ。
 これはきっと神に関係する建物が、この坂の上にあったのではないかと、高橋はよけいな想像をする。なぜよけいかといえば、必要のない事柄のためだ。要は暇なのだ。そしてその関心は単なる好奇心だ。
 坂の下と上とでは高低差が少しある。坂の近くに、その断面があり、人の背丈程度の石垣がある。結構な段差だが、山が近いため、その山の根っこのようなものが、ここまで来ているのだろう。ただ、その山へは歩いて行けるほどの近さではない。近いといっても見えている程度の近さだ。その山のうねりが、ここまで来ていると高橋は見ているが、別の理由かもしれない。坂の下は特にくぼんでいるわけではない。もしそうなら池を埋め立てたとも考えられる。そうではないので、やはり徐々に山に向かい、坂になっているとみていい。
 もし高橋が自転車で来ているのなら、山を背にすれば、ペダルは軽いだろう。
 それよりも、神世が気になる。
 坂の上の町名は新台となっている。そのわりには町は下の町より古い。
 その新台町を高橋はうろうろしてみる。まずは神社を探した。
 ところが、ない。新台町からさらに山側へ行けば、神社はあるが、ここは昔の農村で、その系列の神社だ。
 新台町に神社は見つからなかったが、祠は二三あった。石地蔵を入れているだけの箱のようなものだ。
 部屋に戻ってから、高橋は新台町について調べた。
 ネットは便利だ。検索すれば、すぐに引っかかった。
 新台町の旧名は「余田」だった。余田という名の人もいる。余田とは何かまでは調べなかったが、それより先に神世坂の別名があるらしい。
 それが「上余坂」だ。
 いつ、「神世坂」になったのかはわからない。
 余田へ行くための坂が、この上余坂なのだ。
 だから、神様の上とは関係がない。
 高橋は神世の国を想像していた。また、それに近い何かが坂の上にあると、想像していたのだが、ただの読み違えだった。
 ただ、上余坂が、どの地点で神世坂になったのかは不明だ。歴代の古地図が残っていれば、わかることだが、神と関係がないので、高橋は、それ以上調べなかった。
 しかし、わざわざ神世坂に名を変えたのには、理由があるはずだ。そこにこの地方の何らかの思惑が潜んでいる。余田である今の新台町を巡る何かの争いがあったのではないだろうか。
 要するに新田なのだ。それを言い出すと「新田」は「神殿」だ。
 
   了

 


2012年7月18日

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