小説 川崎サイト

 

熱中病

川崎ゆきお


 熱中症はあるが、熱中病はない。熱射病はあるが。
 熱中病とは、物事に熱中する精神的病だ。熱中症が悪しきものであるように、熱中病も悪いものとして認知されればいいと沖田は考えている。
 人の考えとは何かが起こったあとで出来るデキモノのようなものだ。何もないところからは考えなど生まれない。過去の経験を生かして、考え方というのが生まれるようだ。
 沖田の考えもそれに近い。過去に熱中癖のある友人がいたため、それを熱中病と名付け、悪しきものとしている。だから、悪いイメージが残ったのだろう。
 つまり、沖田は熱中する人が嫌いなのだ。その熱風を受けるのが不快になった。熱っぽい人の影響を受け、自分も熱を持つことがある。熱くなることで気持ちがよくなる場合だ。だが、沖田が接した友人知人達の熱は、快くなかった。熱の勢いを正義と思っている連中で、熱中すれば、周囲はそれに合わせるべきだと思い込んでいる。
 つまり、沖田はこれまで熱中した人達に振り回され、嫌な経験を多く持っているということだ。
 熱中症は熱を内に持っている。熱中病は内の熱が周囲にまで発散され、暑苦しい。本人は平気だが周囲が苦しいのだ。これが熱中症と熱中病との違いだ。
 また、沖田は物事を熱く語る人を信用していない。そんなに熱く語れるのは、語る側に内なる事情があるのだろう。それはただの我が儘かもしれない。非常に個人的なこととのように思え、そこに暑苦しさを感じるのだ。
 もっと言えば、熱弁を振るう人は、コントロールを失った人なのではないかと邪推する。
 沖田の友人関係の例で言えば、非常に熱弁を振るい、熱中した人が、ある日突然言い出さなくなった。そのネタを止めたためだ。そう言う例が多いので、信用できないのだ。瞬間湯沸かし器のようなものだ。それほど高温状態は長く続かない。それが見えている。
 しかし、沖田はそれら反面教師を見続けた結果、頭を冷やすことばかりに専念し、低温体質になってしまった。冷やしすぎて冷たくなったのだ。そのため、冷えすぎた。
 だから、冷えた発想を多くする。
 そのため、本当に熱心に物事を行うときでも、温度は低い。だが、沖田のしてみれば、かなりの高温状態なのだ。
 そして、他人は沖田を冷めた人として見るようになったが、沖田自身は非常に熱を出している。そう見られないというのは、残念だ。
 人には温度差がある。そういうことで片付けてもかまわない。
 
   了


2012年7月28日

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