小説 川崎サイト

 

無限域

川崎ゆきお


「今日は寂しいねえ」
 公園通りの歩道で老人が見知らぬ青年に話しかける。青年はカメラを首からぶら下げている。きっと撮影に来た人間だと思い、老人は声をかけたのだろう。
 薄曇りの夏の日で、老人は日陰で立ち止まっていた。公園内と違い、ベンチがない。
「先週は賑やかだったのだが、今週に入ってからだめだな」
 老人は鉄塔の方を見ている。高圧線が走っているのだ。青年は気になり、老人が見ているであろう物に目を合わせようとするが、その目の角度から行くと、やはり鉄塔らしい。少なくても上の方だ。
「何を見ているのですか」
「雲だよ」
「ああ、雲ですか」
「今週に入ってから雲の出が悪い。沸きが悪い。出雲立つじゃないとだめだ。立っておらん。白っぽい天井を見ているようなものでね。これじゃ雲の形が見えん。輪郭がね」
「はい」
「一週間ほど前から勢いのいい入道雲が宇宙に届くほど伸びておった。超高層ビルでもあそこまではいかんだろう。それが、また刻一刻と形を変える。当然翌日にはもうない。別の形になり、別のところから沸いてきよる。夏の昼間はこれに限るんだ。今が見所なんだよ」
 青年は高圧線に向け、シャッターを切る。白っぽい空と高圧線しか映っていないが、主要被写体は高圧線なので、背景の空は白でもいい。
「おじさんは写真を撮らないのですか」
「私はおじさんじゃなく、もうお爺さんだよ」
「じゃ、お爺さんは写真の方は」
「あの雲は写真では無理だ」
「そうなんですが」
「記録にはいいがな。再現は出来ん」
 老人は青年のカメラを見る。
「中級の一眼レフに、最初から付いていたズームかね」
「ああ、よくご存じで」
「私は新聞社で写真をやっていた」
「プロだったんですか」
「昔だよ」
「それで、カメラに詳しいのですね」
「ドキュメントだからね。写ってたらいい。退職してからは趣味で写真もやっていたがね。アート系で、風景写真などを写していたがさっぱりだ。見たものとはほど遠い。形は同じなんだが、違うんだ。これは絵も同じだ。むしろ言葉だけの方が、いいかもしれん」
「何処が違うんでしょうねえ。僕は写真専門学校に通っています。プロのお話、聞きたいです」
「テーブルの上の宝石。これを写真で写したものと、実物とでは、それほど違わん」
「そうですか。さっき再現できないと」
「テーブルの上の宝石と、雲とでは距離感が違う。それだけのことだ」
「どういうことでしょうか」
「人間の目玉の問題だよ」
「はい」
「宝石を見るとき、宝石との距離は何センチだ」
「ああ、そんなこと、あまり考えたことありませんが、至近距離です。小さいので、うんと近付きます」
「じゃ、それを写真で写した場合、その写真との距離は」
「ああ、パソコンのモニターで見ることが多いので、それも近い距離です。紙焼きで見たときも手で持てる範囲内です。大きい写真なら、少し離れて見ますが」
「じゃ、雲は」
「写すときは、ピントは、無限位置です」
「写真で見るときは」
「近い位置です」
「その違いだよ」
「はあ」
「リアルの雲を見ておるときは、目のピントも無限位置。つまり、目の筋肉は全く力んでいないんだ。その雲を写真で見るとき、無限では見ない。その違いが全てなんだ」
「はあ」
「それにまだある。雲を見ているとき、雲だけを見ているわけではない。いろいろなものを同時に見ているんだ。それに風や温度なども伝わらん。匂いもね」
「だから、私は最高の雲を見ておる。写真で写すと取り逃がす。そう言うことだよ」
「なるほど」
「もっと違いはあるが、くどいので止めるが」
「はい」
「これは勉強にはならんと思うが、年を取ると、分かる」
「雲がですか」
「いや、目が疲れるので、遠くを見ておると楽なんだ。目のAFをオフにしてられる。それだけのことだ」
「はい、勉強になりました」
 
   了

 


2012年7月31日

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