小説 川崎サイト

 

明けない盆

川崎ゆきお


 今日が何日で何曜日なのかが問題になるような生活をしていない高橋でも、テレビを見ていると、何となくここ数日はお盆らしいことは理解している。ただ、この場合の理解は、お盆とは何かということに対しての理解ではない。そのため深い考察をやっているわけではない。漠然とだが、お盆中だということだけを理解いている。理解ではなく了解かもしれない。ただ、これでもまだ重い。もっと軽いチェック程度だろうか。
 高橋は信心深い方ではないが、部屋の一角に聖地を作っている。別に地面の上ではないので、聖域だろうか。だが、数センチほどの台の上なので、域というような広い面積ではない。そこに聖なる物、その辺にころがしていてはいけないような物を置くことにしている。
 特にお盆の行事は、高橋にはない。だが、子供の頃から、先祖が帰ってくるということで、迎え火や送り火をやっていた。一人暮らしになってからは、実家に戻ったときだけ、参加していたように思う。
 先祖の霊は実家にある仏壇に帰るはずなので、高橋の部屋には来ないだろう。と思いながらも、何となく小さなコップに水を入れ、それを聖域の台の上に載せている。
 先祖がもし、ここまで立ち寄れば、水飲み場になるはずだ。霊が水を飲むとは思えないが、これは合図なのだ。水を用意していると言う態度が好ましいのだ。これを霊に示せばいい。
 ただ、高橋はそれを信じて水を供えているわけではない。自分で出来るお盆の行事は、その程度なのだ。
 そして、その後、京都の大文字の映像をテレビで見る。送り火だ。これで、お盆は終わったと高橋は了解した。
 しかし、その日見た夢は、盆が明けない夢だった。
 お盆明けと言うより、お盆の連休が終わり、仕事に出た。ところが、朝のラッシュがない。電車は空いている。都心部のターミナルに出るが、ビジネスマン風の通行人が少ない。私鉄から地下鉄へ向かう通路を行き交う人も朝の四分の一ほどだ。
「まだ、お盆が明けていないのではないか」
 いくら日にちや、曜日の感覚に鈍い高橋でも、出勤日はしっかり把握している。盆休みも終わり、こうして出てきているのだ。
 これは、高橋が見た夢なので、そういう設定にはまり込んでいるだけなのだが、妙にリアルな夢なのだ。
 夢の中での高橋は、結局オフィスに出ず、ターミナル駅に引き返している。フライングだったと。
 やはり、まだ盆は明けていないのだ。それなのに、盆休みが終わったと勘違いしたのだ。では、あの京都五山の送り火の映像は何だったのか。大文字山では確かに大の字を作って燃えていた。
「あれは、テレビニュースではなく、何かの番組だった」
 それしかない。
 その夢はターミナルに戻り、家に帰るところで終わっている。
 夢から覚めると、朝だった。
 盆は開けているはずの朝だ。
 高橋は仕事へ行く準備をし、駅に向かった。
 心持ち、駅へ向かう人が少ない。これは、盆が終わってから休みを取る人がいるため、いつもより少ないのだろう。
 そして、改札を抜け、ホームに出た。いつものようなラッシュではない。
 高橋は不安になってきた。夢と同じ現象が起こっている。
 入って来た電車に乗り込むと、上客はいつもより少ないが、それでも座る場所があるほどすいていない。そして、スーツ姿のビジネスマンが乗っている。それを見て、高橋はやっと安心した。
 そして、ターミナル駅に出ると、やはりいつもよりは少ないが、出勤中であろう人々がいた。
 盆は確かに明けている。しかし、何となく明け切れていないような静かさが気になった。
 
   了


2012年8月17日

小説 川崎サイト