憑依物語
川崎ゆきお
図書館のような喫茶店がある。本屋が経営している店ではない。そして、近くに本屋はない。
図書館のように見えるのは、本を読んでいる一人客が多いためだ。いずれも中高年で、文庫本を開いている。若い客はノートパソコンやスマートフォンを見ている。
季節は夏。暑いのだ。それで涼みに来ている。図書館ではないので、本は自前だし、座るにはコーヒー代が必要だ。
本を読むのが目的なのか、休憩が目的なのかは分からない。ただ、それらの高齢者は仕事をやっているようには思えない。用事のあとの休憩ではない。一日休憩しているようなものだ。そのため、喫茶店に出かけ、そこで本を読む行為はメインイベントなのかもしれない。その日最大の用事だろうか。
是が非でも喫茶店に来る必要はない。それが必要な人もいる。本を読んでいる客の横で、営業マンらしい人達が名刺を交換している。これは仕事だ。ビジネスだ。そして、本を読んでいる人は、そこから卒業し、特にやるべき用事がなくなっている。
だが、本を読んでいる高齢者の一人は読んでいないことがある。本を閉じ、静かになっているのだ。つまり居眠っている。
さて、喫茶店で本を読んでいる人は、一体どこにいるのだろうか。店内にいるのだが、その頭はどこにいるのかだ。つまり、本の世界にいるように思える。
それら暇そうな中高年が読んでいる文庫本の中身はよく分からないが、新書版ではないので、おそらく小説類だろう。文芸ものではないかと思える。お話しのあるテキストだ。
そのストリー世界に入り込んでいるように思える。その人達は、別の物語が必要なのだろう。他人の物語に付き添い寄り添うように読んでいく。もうひとつの人生を疑似体験しているのだろうか。
だから、本の中の物語は、起きて夢を見ているようなものだ。だから、本を閉じ、居眠りしている人は、意外と正しいのかもしれない。居眠り中見る夢は読まなくてもいい。
他人の物語に憑依する。これは神代の時代から続いている行為なのかもしれない。
了
2012年8月21日