小説 川崎サイト

 

御三家の災難

川崎ゆきお


 不思議堂、神秘堂、中には幻影城と名乗る人もいる。この三人が集められた。いずれも屋号だが、個人の名ではない。山田さんが神秘堂さんではなく、倉橋さんが不思議堂ではない。幻影城さんは、さすがに城の名前で、人名とは取れない。
 それら御三家を集めたのは、若い人だ。しっかりと実名で、屋号はない。また、それを必要とする職種でもない。この種に関するジャーナリストなのだ。
 不思議堂、神秘堂、幻影城、これだけで、どのジャンルなのかが、何となく分かる。ただ、古美術、骨董、古書店ではない。
 屋号を少し弄ると、見えてくる。つまり、不思議屋さん、神秘屋さん、幻影城屋さん。だが、ここまでは店屋の名前のようで、団体名のようにも受け止められる。
 そこで不思議家、神秘家、幻影城家と、個人名らしい家をつけると、見えてくる。ただ、分かりやすいのは神秘家だけだろう。
 煙に巻く、曖昧にする。そういうニュアンスが、これらの名前にある。まるで計り知れない、窺い知れないこと、つまり、幻想的な雰囲気がある。
 三人は顔を見合わす。三者とも他の二人をインチキ臭い奴、胡散臭い奴として認識しているのが、青年ジャーナリストは見抜いている。それほど鋭い洞察力などいらない。そのへんの人でも分かることだ。
 幻影城さんは、構えすぎだ。守りに入っている。守備の人のようだ。そして、城に立てこもり、幻想に浸る。そのままだ。
 神秘堂さんは白い顎髭を伸ばし、山羊のようだ。髪の毛は白くはない。髭だけが白い。染めたのではなく、天然だ。この顎髭が神秘堂さんの特長で、これは演出だろう。ただ、人を威嚇するような作りではない。
 不思議堂さんは太っており、顔がまん丸だ。ダルマが座っているような感じで、意外と明るい。ただ、顔の半分は髭で隠れている。これも作為的で、そうしているのだ。
 青年ジャーナリストは、今後ネット上での企画がいろいろあるので、それに協力してもらえないか、というような話をしている。顔合わせのようなものだ。コメンテーターとしての。
 しかし、三人同時に合ったのは失敗だったようだ。
 彼らは、牽制し合っている。
 三人は三人とも苦しそうだ。牽制というより、相手を見ることで、まるでそれが鏡のように自分が見えてしまう。自分はこの二人のようにインチキ臭かったのかと。何々堂とつけたことが恥ずかしい。
 幻影城さんは落城寸前だ。城など持っていないからだ。大層な名をつけたことを恥じた。
 特に火花を散らしているのは、神秘堂さんと不思議堂さんだ。どう違うのか、ということもあるが、そのまんまの屋号のためだ。ありすぎるのだ。これは風雅ではない。稚拙なのだ。
「今後様々な不思議な話、神秘的な話、幻想的な話について、コメントをいただければ嬉しい限りです。どうか今後ともよろしくお願いします」
 若いのに、年寄りめいた口の利き方をする青年も気にくわない。何か馬鹿にされているのではないか、珍獣扱いされているのではないかと、三人とも心配になってきた。
 これは、顔合わせがわりの軽いミーティングなのだが、三人ともそれどころではなく、我が身のことを考えている。こんな妙な屋号をつけ、いかがわしさを正当化し、インチキ臭いことをやっていていいものかと、自己嫌悪に陥り始めたのだ。
 三人は黙ったまま。針の筵。油を抜き取られる蝦蟇の心境だった。
 
   了


2012年8月29日

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