小説 川崎サイト

 

農家菜園

川崎ゆきお


 広大な敷地で、城のように立っている農家がある。といっても高さは低い。二階屋だ。その近くはちまちまとした住宅地で、鉛筆のような家が建ち並んでいる。横へいくには土地がいる。狭い分譲地なので、上にいくしかないのだろう。
 そんな家々を見ていると、この農家は料理旅館のように立派なのだ。
 門も寺の門のように大きく広い。塀も立派で、納屋や蔵が塀代わりになっている。
 正門とは別に車を出し入れする門がある。こちらは最近出来たものだ。その門はスチール製の柵のようなものだが、通りに面したその入り口に、台が置かれている。粗末な木のテーブルだ。その上にカボチャやネギや人参が並べられている。
 野菜の直販所なのだ。
 カボチャは小振りで、これは栽培したのかどうかは曖昧だ。土手カボチャかもしれない。勝手に生えたのをそのまま放置したような感じだ。人参は小さく、そして歪んでいる。普通の人参だが、スーパーなどでは見かけない形だ。出来損ないなのだが、ちらっと見た感じでは朝鮮人参のような非常に高い人参のようにも見える。ネギも短い。そして、束ねているのだが、量が少ない。ただ、値段は安い。
 この大百姓のような老人と、その娘が、すぐ近くの畑で育てている。どちらも高齢だ。そして、どちらも非常に粗末な身なりだ。
 ほとんどの農地は売ったか、土地貸しをしているか、マンションオーナーになったのかは分からないが、水田と畑を少しだけ残している。
 お金に困って野菜を売っているわけではない。田んぼに出ないと、落ち着かないのかもしれない。米は自分の家で食べる程度だろう。野菜を栽培しても農協に渡すほどの量でもないし、品質でもない。
 米は余らないが、野菜は余る。それで、売ることを考えたのだろう。
 それを買いに来る住宅地の住人は、誰一人、この農家ほどの財産は持っていないだろう。金に困って野菜を直販しているのではない。その営みを続けたいだけなのだ。
 しかし、立派な屋敷の前で売っているため、敷居が高い。老人の娘も粗末な野良着なのだが、財産があることは近所の人は知っている。
 つまり、大金持ちが作った貧弱な野菜を買うことになる。スーパーで買った方が量も品質も上だろう。
 一体誰が買うのかは分からない。前の道はそれなりに人の行き来、車の行き来がある。偶然そこを通った人が、買うのだろうか。
 そして、売れなくても、何の問題もない。ただ、売れると嬉しいだろう。
 
   了


2012年9月7日

小説 川崎サイト