小説 川崎サイト

 

魔の時間

川崎ゆきお


 作田は夜中に起きる癖がある。必ず一度は目が覚め、小用をたす。その小用とは別に、もう一つ小用をやる。小便の後、大便をするわけではない。書斎に入り、パソコンを起動するのだ。この時間は数分程度だ。
 ソーシャルサイトで書き込みを見たりするわけではない。この時間が好きなのだ。
 睡眠を一度中断し、再び寝入るのだが、深夜のこの時間帯が快い。わずかな時間だが、ここだけが自分の時間のように感じられる。ただ、その時間は、いつもの自分とは違う景色の中にいる感じもある。別枠のような。
 つまり、その時間はなくてもいい時間だ。本来眠っている時間で、よけいな時間なのだ。
 忙しい中での隙間時間ではなく、偶然出来た時間なのだ。
 最初の頃は、トレイから戻ればすぐに床についた。寝ている途中なので当然だろう。目が覚めてしまい、眠れないのなら別だが。
 書斎の明かりはつけない。液晶モニターの明かりだけだ。営業していない書斎だ。閉店後の書斎だ。そのため、本や道具類はぼんやりとしか見えない。
 こういう時間に目を覚まし、すぐに布団へ行かないで、書斎で座っていると、何かの間違いが起こりそうな気がする。窓からは住宅地の明かりが見えるが、部屋の窓から漏れる光は少ない。まだ起きている部屋もあるのだが、町は寝静まっていると言いたいところだ。
 この夜中トイレ帰りの時間を、作田は魔の時間と呼んでいる。それは五分か十分。ちょっと座り、煙草を吸い終えるまでの時間だ。毎晩それをやっていると、この時間が一番濃いように思える。
 中途半端な時間なので、特に何かをやるようなことはない。煙草を吸いながら、ネットでニュースを読む程度だ。それは深夜航路の航海士のような気分でもある。世の中という海をチェックしているような気分だ。
 今まで眠っていたので、頭はぼんやりしている。寝ぼけているような。ここでしっかり起きてしまうと、後半の眠りに入りにくくなる。だから、出来るだけぼんやりとしているのだ。
 夜中に笛を吹くと、魔物が現れるらしい。と、子供の頃聞いたことがある。そんなことはあり得ないので、遅くまで起きているのはよいことではないと言いたいだけなのだ。
 作田は夜更かしをしているわけではない。いきなり深夜帯に切り込み、さっと抜けるだけ。
 このわずかな時間を魔の時間と勝手に呼んでいるのだが、魔が入り込んだことはない。なぜなら、この時間そのものが魔なので、魔の中に既に入っているため、それ以上の魔はこないのだ。
 作田が言うところの魔の時間は、作田の日常時間とは別枠の飛び地のような存在で、それだからこそお気に入りなのだ。
 人は勝手に、妙な時間を作り出す。他人から見れば、ただ、夜中にトイレに立ち、そのついでに煙草を吸って寝ただけのことなのだが。
 
   了


2012年9月16日

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