小説 川崎サイト

 

木造校舎

川崎ゆきお


 生まれ育ちもその町で、一歩も外に出たことのない老人が、昔通った小学校が現れたと嘘を付いた。
 なぜそんな嘘を付いたのかは分からない。何かの成り行きで、そう語ってしまったのだろう。
 昔の木造校舎時代の小学校も、興味深いが、なぜ小学校なのだろうか。高橋はその老人に会い、聞いてみた。
「さあ」
 それが、回答だった。本人もなぜ小学校なのかが分からないらしい。幻覚を見たというのなら、ほかのネタでもよかったのだ。
 それも聞いてみた。
「あの小学校の前は毎日通っている。だが、ある日その道が工事中で通りにくい。通れないことはないが、交通整理員の顔を見るのがいやなので、違う筋を通った」
「なぜ、整理員の顔を見るのがいやなのですか」
「通してもらうのがいやなんだ。指図を受けたくない。それにその日は気分が悪く、人と接したくなかった。別の筋から改めて小学校を見た。いつもは裏側からだが、その人は久しぶりに正面側から見た」
「それが木造だったのですね」
「そんなバカな。いつも小学校の校舎は見ておる。角度が違うだけの話だ。鉄筋コンクリートがいきなり木造にはならん」
「では、いつ木造校舎を見られたのですか」
「それはよく覚えておらんが、最近だ」
「筋違いの通りから小学校を見て、しばらく後ですね」
「そうだな。だから、つい最近だ」
「それはどの道で見たのですか。つまり、いつもの道なのか、筋違いの道なのか」
「きっと筋違いの道だと思う。なぜなら、まだ工事をしておるから、あの道は最近通っていない」
「どんな校舎でした」
「鉄筋になってから取り壊された場所に建っておった。今はそこは運動場になって、何も残っておらん。大きな松ノ木とポプラの木はそのまま残っておる。少し離れたところに銀杏の大木もある。それらは昔のままだ。ポプラの葉は宝石のようにきれいだった。それで笛を吹いたりした」
 老人がよけいなことまで話し出すので、高橋は制した。
「あなたが子供の頃通っていた校舎ですね」
「そうだ。木造の階段など丸くなっており、滑りそうだ。いや、滑るので、滑り落ちるようにして駆け下りたことがある。最初から滑る気で降りるんだ。手すりもそうだ」
「その校舎を見たのはあなたですよね」
「そうだよ。だからこうして話しておる」
「大人のあなたが見たわけです」
「どういう意味かな」
「教室には入られましたか」
「ああ、入ったとも、あのころのままじゃ」
「大人になったあなたが教室を見たわけでしょ」
「それがどうした」
「でも、その印象は子供の頃の教室と変わらない」
「だから、不思議なんだ」
「そうじゃなく、身長が違うと思うのです。だから、机なんか、非常に小さく感じたはずですよ」
 老人は目をきょんとさせた。
「あなたは子供の状態で、小学校を見たわけです」
「細かい話はどうでもよろしい」
「それから、どうされました」
「廊下を行ったり来たり」
「それから」
「便所にも行った。これは別棟にある。暗くて怖い場所だった。それも残っておった」
「つまり、子供の頃の記憶で、あなたは話しているわけです。ですから、あんたはそんな小学校には行かなかったのです」
 高橋は、最初から、老人の嘘話だと、分かっているのだが、老人の反応を見たかった。
「わしが嘘を付いているとでも」
「そして幻覚だとも思えません」
「では、わしが幻覚をでっち上げておると」
「そうではありません。どうして、そういうことを言い出したのかが、気になっただけです」
 老人はそのあと黙った。
 あとで分かったのだが、老人はこういう話をしたかっただけのようだ。高橋は聞き役になっただけのことだが、あまりいい聞き役ではなかったようだ。
 その後、この老人はぼけていない。
 
   了


2012年9月18日

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