小説 川崎サイト

 

雨の降る日

川崎ゆきお


「雨の降る日は天気が悪い」
 山田は雨の中、その言葉が口から出た。それは炎天下を歩いているとき「暑い」と口にするようなものだ。しかし、声にならないときと、声になっているときがある。後者は誰かに聞かれるおそれがある。周囲に誰もいなければ、その配慮はいらないが。
 口に出すと出さないことでの違いを、山田は考えているわけではない。そういう言葉を浮かべることで、何となく緩和される。
 痛いとき、「痛い」と発すれば、痛みが和らぐわけではないが、自分に起こっていることを確認できる。これは痛いことだと。
 雨の中、山田が「雨の降る日は天気が悪い」と口にしたのは、意識的にこの言葉を選んだわけではない。ふと思いついたのだ。
 自分の行動に自分でナレーションを入れているようなものだが、その意味を考えてみた。
 ナレーションを入れる意味ではなく、その言葉の意味だ。
 雨が降っているので、天気が悪い日だという意味なのか、それとも天気が悪さをしているという意味なのかだ。大して違いはないが、後者は天気に人格がある。
 天気を山田に置き換えると「雨の降る日は山田が悪い」になる。山田が悪いので、雨が降るのだ。悪い山田がキャラとしてある。だから、山田は悪者なのだ。雨を降らしているのは山田なのだ。
 普通なら、雨が降っているので、今日は空模様がよくない。となる。状況を言っているだけだ。
 天気とは、晴れを差さないし、曇りも差さない。雨も差さない。その全てを差している。
 だから、天気は現象なのだ。
「雨が降る日は天気が悪い」
 もう一度山田は口にする。
 よく考えると、当たり前のことを言っている。重なっているともいえる。しかし、天気をキャラとして見られないわけではない。それは天というキャラだ。お天道様のことだ。雨が降るのはこのお天道様が悪さをしている。お天道様は人格がありそうなので、これは自然現象ではない。天気一般のことを差していない。任意の人格を差しているのだ。
 山田は、この場合のお天道様とは、一対一の関係ではないかと考えた。お天道様は人の数だけいる。
 お天道様との関わりで、天気が決まる。すると、山田とお天道様との関係だけで、世界中の天気が決まってしまうことになる。
 やはり、キャラ立てすると無理が出る。
「雨の降る日は天気が悪い」
 あまりにもひねりのない言葉で、奥行きのない言葉で、そのまんまの言い方なので、それだけではないはずだと、考えてしまうのだろう。
 当たり前のことなので、それ以上つっこむ必要はないという意味だろうか。
 山田が、雨の中で、この言葉を思い浮かべてしまったのは、やはり、丁寧な確認が必要だったためだけなのだろう。
 天と太陽とは違う。しかし、天や、日は神や仏になりやすい。
「雨の降る日は天気が悪い」
 やはり、それ以上の意味はないのだ。
 
   了


2012年9月19日

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