小説 川崎サイト

 

紫電改の鷹

川崎ゆきお


 これは今は昔の大阪駅前での話だ。
 高浜は老人から道を聞かれた。
「大阪駅はどちらかな」
 老人は、老人らしい年寄り言葉をあえて使っているように高浜は感じた。実際は分からないが、言葉のアクセントが変だった。それは、大阪駅の場所を聞いてくるのだから、近隣の人ではない。かなり遠くから来た人、旅行者かもしれない。だが、それにしては軽装で、近くの医者へ通う程度の小さな鞄しか持っていない。それでも身なりはしっかりしており、背広姿だ。ちょっとした田舎紳士だ。そう見えるのは、古着でしか手に入りそうにないよう背広のためだ。ネクタイは白い。
「大阪駅はここです」
「大阪駅はどこかな」
「改札ですか」
「そうだ」
「その通路に人が流れているでしょ。それについて行けば改札で出ますよ」
「ああ、ありがとう。何せ二二六事件以来なのでは」
「はあ」
 戦前のクーデータ未遂事件だ。数字の後に事件と付いているので、あの二二六事件だと、高浜はすぐに察した。しかし、リアルな会話の中で二二六事件などが登場することは希だ。高浜も初めてだ。歴史の話で、そういう会話もしたことがない。
「あのとき、私は大阪にいた。大変なことが起こったと思い、用事をすぐに片づけ、国へ帰った。帝都じゃ戒厳令が布かれておったのでな」
 高浜は戒厳令の夜という小説があることを思い出した。読んでいないが、本とタイトルだけは覚えている。
「いやいや、ありがとう。大阪駅もすっかり変わり、よく分からんようになっておった。あの流れに乗れば、改札ですな。分かりました。ありがとう」
「大阪も変わったでしょ」
「そうなんじゃ、大阪駅に着いていながら、大阪駅を探すとはな。さっきまで曾孫の結婚式があってな。その帰りじゃ」
 それにしては、それにふさわしい手荷物を持っていない。
「お国はどこですか」
 高浜は、この老人にふさわしい言い方をした。お国というような言葉は滅多に使わない。故郷のことだ。
「阿蘇だ」
「九州ですね」
 高浜は、この老人が浦島太郎のように見えた。
「私は航空隊でね。戦闘機乗りだった」
 老人は聞いていないのに、話し出している。
「B29を撃ち落としたことがある」
「はあ」
「あれは、落とせない飛行機じゃない。落とせるんだ。だが、コツがいる」
 高浜はB29を撃墜した話を少年雑誌の記事で、昔読んだ記憶がある。
その主人公かもしれない。
「分かっていたんだ」
「はあ?」
「戦争が終わることがね。だから、上層部は秘密にしてくれた。大手柄だけど、戦犯になるかもしれないってね。でも知ってるよ。みんなね。私が落としたことを」
「はあ」
「じゃ、失礼」
「はあ」
 老人はしっかりとした足取りで、改札へ向かう流れに乗った。
 高浜は古い少年漫画を思い出した。それは「紫電改の鷹」だった。
 今も、高浜は大阪駅に行くたびに、その老人のことをたまに思い出す。
 
   了


2012年9月22日

小説 川崎サイト