小説 川崎サイト

 

非凡な平凡

川崎ゆきお


 妹尾は日々同じことを繰り返している。昨日と似たような今日が来る。それが日常と言うものだが、そっくり同じ日は一日たりともない。
 そのため退屈はしないのだが、実はその退屈さを望んでいる。だから、昨日と似ている度合いが近いほど満足する。
 妹尾の日課の中に買い物がある。近くのスーパーまで行く。夕方より少し前の時間帯だ。
 これが土日では様子が違う。スーパー内での様子だけではなく、道行く人も違う。学校が休みの場合、いつも見かけるクラブ活動帰りの生徒が消えている。
 当然だが、スーパー内での客も昨日と同じ人ではない。だから、昨日と同じ今日というのは不可能なのだ。
 それでも、それに近い方が落ち着く。
 妹尾は若い頃は変化のとんだ暮らしをしていた。刺激を求めてうろうろと。平凡では退屈なためだ。
 しかし、ある時期から動きが鈍った。刺激に飽きたわけではない。刺激の受け方を変えてみたのだ。
 それは、大きな刺激より小さな刺激の方が、得ではないかと思ったからだ。刺激に損得があるとは思えないが、コストパフォーマンスの問題だろう。
 小さな刺激を得るには、静かな暮らしでないとだめだ。なぜなら、それなりにアクティブな暮らしぶりなら、小さな刺激が目立たない。
 いつものクラブ活動の生徒と出合わない。これは土日に限られるので週間単位だ。その生徒の一部が姿を消すのは、卒業したためだ。これは年間単位だ。
 消えることも刺激だ。なぜならいつもいるはずの人がいないことに気づいたとき、少しだけ気になる。これは予測できることもあるし、消えて初めて原因が分かることもある。
 だが、一般にはその程度では刺激とは呼べない。もう少し大きな驚きがないと、だめだ。
 だが、妹尾はレベルの高い刺激に飽きたのだ。
 妹尾が密かに期待している刺激がある。それは出合えばきっとどんな刺激よりも強烈だろう。
 幽霊との遭遇だ。
 しかし、一度もそれを見たことがない。だから、今後も見ることはないだろうと思うのだが、出てくれば、きっと驚くだろう。
 妹尾が密かに狙っているのは、幽霊なのだ。これはとんでもな発想であり、日常での構え方だ。
 刺激を求めないで静かに暮らしている人間の思考回路ではない。
 妹尾が考えている幽霊とは、一般の幽霊も含まれるが、それだけには限らない。そうなると超常現象マニアということになる。
 妹尾が刺激の少ない、雑音の少ない暮らしをしているのは、低く構えることで、超常現象をキャッチしやすくするめの作戦なのだ。
 だが、世間はそのようには思っていない。規則正しく静かに暮らす人として見ている。
 平々凡々と暮らしている人ほど、内面で何を考えているのかは、聞いてみないと分からない。だが、聞いても絶対に語らないだろう。
 
   了


2012年9月24日

小説 川崎サイト