小説 川崎サイト

 

霊媒師と新人女優

川崎ゆきお


 気持ちは伴わないが、その表情を出せる役者がいる。一方その気持ちになり、その表情を出している役者がいる。本気で演じている。なりきっているのだ。しかし、それが本気で演じているような演技だとすればどうだろう。
 そして、気持ちが入るとはどういうことだろうか。
「それは可能じゃよ」
 霊媒師が新人女優に答える。
「霊媒師のようなのじゃ、役者も、の」
「誰が乗り移っているのですか」
「そのお話の人物だから、架空の人物じゃな」
「霊ではないのですね」
「霊も似たようなものじゃ」
「霊媒師も演技なのですか」
「演技をしているうちに本気になる」
「では、気持ちはあとで、形が先なんですね」
「ああ、そうじゃ。気持ちなんて当てにならん。それは見えん」
「私は気持ちがこもっていないと言われます」
「気持ちなど当てにならんと言っただろ。人は形でごまかされるもの。分かりやすいのでな」
「気持ちとは何でしょうか」
「どんな気をそのとき持っておるかじゃ」
「じゃ、その人になった気持ちで演じればいいのですね」
「その人とは架空の人物だろ」
「そうです」
「そんな得体の知れぬものの気持ちなど、なれるものではない」
「では、気持ちを込めた演技とはどんな感じでしょうか」
「それは誰に対してかな」
「見る人にです」
「違う。あなたが悩んでいるのは、そういうことじゃない」
「あ」
「誰に対してか、もう一度言ってみなさい」
「監督です」
「じゃ、その監督が考えている人物の気持ちに合わせれば、それでいいじゃろ」
「そのように演じていないと言われます」
「だったら、その架空の人物ではなく、その監督の気持ちだけを押さえ込めればいい」
「それがよく分からないので」
「それは魔空間じゃな」
「魔法の世界ですか」
「いや、そうじゃない。その監督の病だろう」
「その病が魔空間なのですか」
「演技は監督に対して行うのじゃ」
「そのつもりで、役を演じても……」
「だから、その監督さえだませればいいのじゃ」
「そんなことが出来るのでしょうか」
「わしはこう見えても若い頃はアングラ劇団をやっておった」
「お婆さんがですか」
「だから、監督も役者も、みんな嘘っぱちじゃということを知っておる」
「では、どうすれば」
「演技がうまくできないということを演じ続ければいい。これはリアルの芝居じゃ。あなたが困っておるのは役柄ではない。その芝居の中身ではない。役者と演出家との間の芝居なんじゃ。うまく出来んが、がんばっておる、必死で気持ちを込めてやっておるという芝居をすればいい」
「その役柄の芝居をするのじゃないのですか」
「相手は、役柄の人物ではなく、その監督じゃ。監督とのやりとりが最大の芝居なんじゃ」
「でも、その監督、ものすごくうるさくて、厳しくて、イメージに合うまで何度も何度も」
「それがそもそも芝居なんじゃ。その監督のな。そういう演出の臭い芝居をやっておるんじゃ。その臭い芝居につきあえばいい」
「どの芝居です」
「監督との芝居だと言っただろ」
「はい。でも、気持ちを入れるとはどういうことか、まだ」
「監督の気持ちを入れるのじゃ」
「ああ、頭が」
「監督を憑依させる」
「そんなこと、出来ません」
「あなたの望みは何じゃ」
「将来安定した女優として、長く続けたいです」
「そうじゃなく、今の望みじゃ」
「早く、この撮影を終えたいです。無事に」
「正直でよろしい」
「その方法を伺いに来ました」
「だから、演技がどうの話ではない。その監督との人間ドラマだろうが。ただの人間関係の問題であろう」
「実はそうなんです」
「だから、緩和法でいいのじゃ」
「そ、そうです」
「出来るだけダメージを受けないようにやり過ごす方法が欲しいのじゃろ。それが今の望みだ」
「大正解です」
「その方法は、先程述べた」
「すみません。忘れました」
「じゃ、もう一度言う」
「はい」
「賢明に監督の言うことを聞いて努力している振りをし続けること。無理に失敗して、叱られることもよい。先に演じたものが勝ちじゃ」
「何となくわかりました」
「ここからは応用問題になるが、監督よりも役柄に対してのイメージを持っていると言い続ける。自信たっぷりに。それは嘘でいい。中身はなにもなくてもよい」
「それは、難しいです」
「では、監督の演出に、首を傾げることじゃな」
「全部、言うことは聞いています」
「そうじゃなく、たまに首を傾げるのじゃ。おかしなことを言い出したと言うようにな」
「それは、どういう効果があるのですか」
「先ほど言った、嘘の自信の現れだよ。つまり、あなたは監督よりこの役柄をよく知っているというようなな。あなたの方が、すごいイメージを持っているが、指図通りしているだけ、というような」
「さすが応用問題で、よく理解できません」
「もっと言おう。元女優なので、この件に関しては、言いたいことがいっぱいある。それは、素顔でやることじゃ。ただし、その素顔は演じたものじゃ」
「素顔を演じるのですか」
「人に素顔などない。相手によって素顔は変わる」
「また、難しいです」
「演じていないときも、演じる。ここが大事じゃ」
「ああ」
「言い過ぎたようじゃ」
「はい、また、その時期になったら来ます。今は当面の敵と戦うだけです」
「監督なんて病人じゃ。異常者じゃ、まともに戦うほどのことでもない。真剣に戦うほどのことじゃないのだよ。適当にあしらっておけばいい。真に受けると相手のペースにはまる。だから、はまった振りをすることじゃ」
 霊媒師の婆さんは、また言い過ぎたと思い、一息入れた。
 
   了


2012年9月26日

小説 川崎サイト