小説 川崎サイト

階層世界

川崎ゆきお


 階層がある。上の階層、下の階層などだ。
 最初に思い浮かぶ階層は、社会的階層かもしれない。社会の階層だ。
 一階や二階も階層だ。また、ものを整理するときにも、階層構造を使うことがある。横の階層、親の階層、子の階層。などだ。
 上田は書きものをしているとき、ネタに困ると、この階層移動をする。
 風景という階層の中に草花も含まれているが、風景が上で草花は下だ。また、風景と草花の間に、まだまだ階層がある。だから、風景の真下に草花があるわけではない。植物がその前にあるはずだ。これはかなり細かく階層分けできるのだが、その階層を作っているのは、本人が多い。つまり本人が勝手に分けているのだ。この場合、上田が勝手に作った階層なので、上田に都合よく出来ている。
 ただ、すべてのことを一つのルートから振り分けていくのは困難だ。階層構造は、何かに都合よくできている。
 同じものが別の階層構造では、別の場所に入っている。
 上田は草花の下の階層を探ってみた。草花についての書きものをしていて、ネタに詰まったのだ。
 草花の草と花を分ける。花が咲かない草もあるが、よく見ると咲いている。だが花として見た場合、人が愛でるほどの価値がないと、それは草になる。
 花を植えたり育てたりするのだが、最初から花ではない。花だけでは花は咲かない。茎や葉がいるだろう。根もいるだろう。
 花の下の階層は、花びらや雌しべや雄しべだろうか。花を見ているとき、その全体を見ている。そして、一つ階層を落とせば部分が見えてくる。この箇所を語れば、ネタが増える。
 しかし、上田は植物についての知識はない。風景の中に含まれている草花程度の扱いなのだ。つまり、上田にとっての草花は風景の一部なのだ。
 これは、何故そうなるのかというと、上田と草花との関係の中にある。上田は花屋ではないし、育てることを趣味にもしていない。またお花の師匠でもない。
 つまり、関係によってルートが違い、階層も違ってくるのだ。
 花にぐっと寄って見ていると、虫がいたりする。花と虫とは違う。しかし、そういう虫が花粉をくっつけたりして、花の増殖には必要なのだ。すべての花がそうではないだろうが。
 しかし、花を見ていて虫を見てしまい、今度はその虫の階層に入る。花の種類も多いが虫の種類も多い。
 上田にとり、テントウムシも蜂もミミズも蜘蛛も虫なのだ。ただ、蝶々は虫とは言わない。幼虫の場合は虫だ。
 正式な分け方があるはずだが、それを知らないと我流で分ける。その我流は自分の中だけで通用する。これを流儀とは言わない。そんな上等な行いではないからだ。
 自己流は他の人には適合しにくい。その他の人は、その人なりの自己流を持っているためだ。ただ、それは口にしない。間違った分け方だと自覚しているためだろう。
 その分け方が、いろいろな場所で通用するのなら、間違っていても、それは世間で通用する。同じ間違いを多くの人がやっている場合、通用するのだ。
 さて、草花についての書きもので、ネタがなくなった上田だが、下の階層へと分け入っても、関係性が遠のき、結局よそ見して、虫について書くことにした。ただ、草花と関係する虫については、ほとんど思い浮かばない。だが、一般的な虫なら思い付く。
 しかし、それを書き出しても面白くなかった。ネタとしてはいいのだが、ペンが進まない。
 虫よりも、虫眼鏡なら、思い付く。
 部屋に大きな虫眼鏡がある。皿のように大きい。そのため、そこにゴミやほこりが付きやすく、いざ使おうとすると、曇っていてよく見えない。レンズを掃除するところから始めなければいけない。これは置き場所が問題なのだ。レンズ面を真上にしているためで、それを立てていれば、少しはましだろう。だが、使った後、そこまで考えない。見終えると、机の上に寝かしている。
 小さな虫眼鏡なら、大丈夫かもしれない。それで、小さめの携帯ルーペを買っていたのだが、そちらも似たよう結果になっている。
 レンズ面が小さいので掃除が楽だが、四角いそのルーペには四隅があり、そこを拭き取るのが逆に大変だ。大きい虫眼鏡なら、中央部だけ拭けば何とかなる。
 虫が、虫眼鏡になり、掃除の仕方になる。
 何処までも上田との個人的関係性で出来上がっている階層と言うべきだろう。
 
   了

 


2012年9月30日

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