小説 川崎サイト

大屋根

川崎ゆきお


「この村には本丸がある」
 不審者丸出しの自転車に乗った白髭が言う。
聞いているのは、細いタイヤのスポーツ車に乗っている青年だ。走り疲れたのか村の入り口にある低い石垣に腰掛けている。
 村の入り口と言っても、宅地になっているため、境界線は曖昧だ。ここと似たような村が点在する平野部だ。
「この村はおかしい」
 青年は自転車のフレームに取り付けてある水筒から、ポカリスエットを飲む。
「冷えてないと駄目だな」
 季節は秋。しかし陽に当たり生ぬるくなっている。
「やはりお茶か、コーヒーにしておけばよかった」
 青年は白髭を出来るだけ無視しようと、独り言を言っているのだ。
「この村には入りにくい空間がある。空気じゃないぞ。空間だ」
 青年は雲を見ているが、声はいやでも聞こえてくる。
「村の奥の院とも言うべきか、それとも本丸とも言うべき箇所が、この村にはある。古い家が密集しているあの箇所だ。寺のような大屋根が見えるだろう。あれは民家だ。個人の家だ。そして、神社でもないのに大きな木が立ち茂っておる。あそこが本丸だと思うのだが、入り込めん」
「入り込んでどうするのかな」
 青年はついにコメントを入れてしまった。これで、コミュニケーションが開始される。無視すれば、白髭も、独り言で済ませただろう。しかし、聞き手が出来て、声に勢いが増した。
「入り込めないのは、個人の家の敷地ではない。いくら何でも他人の庭に入り込もうとは思っていない。道があるはずだ。誰でも通れる道がない。その道を通るだけなら問題はない。しかし、あの大屋根と巨木のある一角には寄りつけん。複数の家で取り囲まれておる」
「同じ家じゃないのですか」
「え」
「だから、同じ一家の建物」
「それなら頷けるが、あそこに中庭があるはずなんだ。あの巨木がその証拠。広場になっている。農家の中庭は広い。しかし、それとは違う。あれは広場だ」
「グーグルの地図を見れば分かりますよ」
「いや、あの中庭は複数の家で取り囲んでおる」
「そういえば気になりますねえ」
「私としては、行けない場所があるのが嫌なんだ。あなた距離を稼ぐ走り方でしょ。私は虫のように地面を這うように徘徊する走り方なんだ。最近は巨木系でね。今はこの辺り、住宅地だが、昔は村だった。その当時から残っておる巨木がある。その巨木巡りをしておるんだ」
 しかし、この白髭、どう見てもゴミの日に現れそうな風貌だ。
「隣接する村には、そんな空間はない。だからこの村はおかしい」
「広場でしょ」
「広場にしては塞ぎすぎておる。だから」
「だから」
「兵を入れることが出来る」
「兵って、ここは農村でしょ」
「足軽は農民だよ」
「よく分かりません」
「または、一揆の時の集合場所」
 青年は、おおよそのことが分かったので、もうそれで去ろうとした。不審者が不審ではなくなったからだ。
「君もあの大屋根に向かって走ってみなさい。決して到達しないから。そして、あの大屋根のある家の玄関口が見えない。門も塀も見えない。あれは他の家で囲まれておるのだ」
「はい、じゃ、ちょっと行ってみます」
 村の中央部へ行くに従い、歩行者が増え出した。いずれも老人だ。確かに大屋根に迫ろうとすると、他の家が立ちふさがっている。そして、回り込もうとすると、道が細くなり、何処かの家の庭に出てしまう。その庭で老人二人が縁側で話し込んでいる。
 その庭から道らしい入り口が見える。しかし人がいる。庭を横切れない。
 その庭は野菜や花を栽培しているようだ。広くはないが、縁側がすぐそこにある。老人二人も。
 青年は自転車に乗ったまま、そーと近付く。
 縁側の二人は、少しだけ視線を向けるが、すぐに会話を再開した。腰が痛いとか、膝が曲がりにくとかだ。
 青年は庭とは知らなかったような顔で、新たな道の入り口までスーと走り寄り、そのまま吸い込まれていった。
 
   了

 


2012年10月6日

小説 川崎サイト