小説 川崎サイト

曜日

川崎ゆきお


「土日を知る方法をもうひとつ発見した」
 ショッピング街の喫茶店での岩田老人と高岡老人との会話だ。つまり、じじ臭い話なのだが、情報についての考察でもある。ただ、そのレベルには至っていない。しかし認知能力としては応用レベルの部類だ。
「カレンダーを見れば、分かろう」
 高岡老人は非常に一般的な解を示す。
「何処でそれを見る」
「もらい物のカレンダーが壁に貼ってある。それを見ればいい」
「じゃ、今日、見たか?」
「いいや」
「じゃ、今日は何曜日だ」
「ああ」
「ああじゃない。ああじゃ」
 高岡老人は内ポケットからケータイを取り出した。そして開けるとカレンダーが表示されている。しかし老眼なので、一ヶ月単位では見えない。そしてボタンを押すと、今日の日付と時刻が出る。しかし時計の文字は大きいが、曜日の文字は小さい。老眼鏡を取り出してまで見るほどのことではない。だから、見ない。ただ、聞かれたので、目を細めて何とか読み取った」
「これをすると疲れるんだ」
「目を細めても見える程度ならいい。わしなど、全く見えん」
「それより、土日を知る方法を教えてくれ」
「自転車じゃ」
「分かった。土日は休みなんで、自転車に乗っておる子供をよく見かけることで知る方法だな」
「自転車置き場じゃ」
「ほう、このションピング街の、あの駐輪場かい」
「張り紙はないがな。自転車で分かる」
「分かった。土日は客が多いので、自転車の数が多い。それで分かるということか」
「いやいや、そうじゃない。ここは平日でも自転車は多い」
「では、何じゃ」
「臨時駐輪場が、入り口に出来ておる。ここは余地でな、止める場所ではない。ベンチや花が並んでおる所じゃ。入り口が近いので、止めやすいが、止めてはならん。不届き者のために、棒で囲っておる。その棒が土日消える。そして、その余地に自転車が止まっておる。これが合図だ。土日の」
「ああ、なるほどなあ。しかしわしはそっちの駐輪場ではなく東口に置いておる。じゃから、その合図はない」
「そうか」
「もう少し普遍的な例を挙げよ」
「いや、いいんじゃ、わしだけが分かればいいのだから」
「で、土日が分かれば何とする」
「知るだけじゃ」
「そうだろ。あんたも私も土日も平日も関係がない」
「あっ」
 岩田老人は、何かに気付いたようだ。
「土日を知る方法がある」
「それはさっき聞いた」
「テレビじゃ。テレビ。平日とは番組が違う。これは分かりやすい」
「それなら、私だって、知っておる」
「ならば、あんたもオリジナルな知り方の出来る情報をこしらえることだな。わしの自転車置き場のような、合図を」
「そうだな。そういうのを探すのもいい。クイズの答えを探すようなものか」
「それはあんただけが分かる方法でいいんだ。わしのようにな」
「それよりも、曜日など気にしておらんから、あまり努力をせんかもしれんのう」
「そうだなあ、必要性がないもんなあ」
「ああ、ないもんないもん」
 
   了


2012年10月7日

小説 川崎サイト