小説 川崎サイト

食い合わせ

川崎ゆきお


 聖地巡礼。高島はそう名付けている散歩コースがある。
 神社や寺を回る。
 昔、古寺巡礼という本があったが、高島は読んでいない。まだ若かったのだろう。そして、その年齢に達した頃、古寺巡礼ではなく、近場で済ませられるコースを選んだ。なぜなら、寺や神社を回るのはいいのだが、そこへ行くには駅まで歩かないといけない。その距離はいいのだが、最近は自転車で駅まで行っている。ところが、この駅前の公園が駐輪禁止になり、徒歩になるため、大層になったのだ。古寺内を歩くより、この駅までの道を歩くだけで疲れてしまう。さらに自動券売機や、自動改札などを通り、プラットホームで電車待ちをする。これはいいのだが、煙草が吸えなくなっている。
 そこは我慢できても、それで大きな駅まで乗り、そこから古寺に相当する所へ向かう電車に乗り換える必要がある。ターミナル付近では煙草が吸えない。また、一般道路に出ても、歩行禁煙となっている。だが、その路上に煙草の吸い殻があると、安心できるのだが。
 また、古寺へ向かう電車に乗っても、駅のすぐそばにあるわけではない。なかなか古寺まで辿り着けないのだ。
 古寺巡礼の本に書かれている場所へ行くには、現地近くで宿泊しないと、回れないだろう。
 そこで高島が考えたのは、近場で済ませられる巡礼コースだ。古寺は確かにあるが、葬式寺しかない。そして門は閉まっており、普通の住居と変わらない。境内はあるが他人の家の庭のようなものなので、そこを探索することなどは出来ない。門が開いている寺もあるが、見知らぬ人間が入り込めるような雰囲気ではない。用がなければ駄目なのだ。近所のお婆さんがお参りするのなら、問題はない。身元のはっきりとした檀家さんだろう。
 寺は無理だが、神社は開放されている。神主そのものがいない。建物だけがぽつりとある。そういう神社を高島は巡ることにした。当然歩くと辛いので、自転車で。
 いつでも煙草が吸える。煙草を線香代わりにしているわけではないが、似たようなものだ。ただ神社には線香台がなかったりする。
 近場の神社は点在している。その範囲は村単位のようで、今は住宅地になっているので、神社も村も宅地の中に埋まっている。それを見つけ出すのも結構楽しい。
 しかし、村の神社、おそらく氏神様だろうが、それを回るのは自転車でも辛い。
 そこで、これを聖地巡礼と称し、お地蔵さんの祠も加える。当然お稲荷さんもだ。すると一気に数が増える。
 中には訳の分からないような塚があり、何が祭られているのかが不明なものもある。
 最終的には何かよく分からないが、そういうものはありがたいものだと思い、適当にお参りすればいい。意味が分からないからといって無視するより、一応コースに入れた方が好ましい。なぜなら、継子扱いにすると、祟られることもあるからだ。このルールは随意だ。高島は数をこなしたいので、祟りとは関係なく、お参りしている。ただ、賽銭は使わない。
 ある日、どちらか分からないような石を発見した。石仏が崩れたものなのか、ただの石柱なのか、それとも、この近くは街道が走っていたので、何かの道具のための台か柱かもしれない。
 その石柱はお稲荷さんの近くの草むらにぽつりとあった。石灯籠が崩れ、その一部が残っているだけなのかもしれない。やや傾いて立っているが、それなりに趣がある。霊験があるような。
 ただ、高島はその種の霊感は何もない。だから、ただの捨て石かもしれないが、人工のものであることは確かだ。それぐらいの違いは分かる。
 高島はそれを巡礼コースに加えることにした。
 その傾斜石柱をお参りするようになってから、悪かった体調が治った。偶然だと思うが、霊験あらたかだったのかもしれない。
 それに気をよくして、埋もれている石を探すようになった。石でなくてもいいのだが、そういう場があるはずだと。つまり聖域だ。
 それで、二つ三つと発見した。
 その後、体調を崩した。
 聖地にも食い合わせがあるのだろう。
 
   了


2012年10月8日

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