小説 川崎サイト

タゴサク案山子

川崎ゆきお


「カカシは人型なので、何かが乗り移るかもしれん」
 宅地に囲まれた田圃の前で、老人が話している。聞いているのは、高校生だ。
 近くに高校があり、この田圃は高校が管理している。管理と言うより、特別授業で使うためだ。農学部はないが、体験授業がある。
 この田圃、実はその老人が所有している。地主だ。それを学校に貸している。だが、老人は稲作りを教えていない。もう年なのだ。
 稲は見事に実りつつある。まだ青いが、そのうち黄金色になるだろう。だから、雀や鳩などが近づかないよう、カカシを立てている。それよりも、ネットなどを張ったほうが好ましいのだが、売るわけではないので、それでいいのだろう。またその方が風情としていい。
「この近くではカカシを立てないものと決めていたのだが、どうもないだ」
 他の田にもカカシは立っているが、農家の田ではなく、違う人がやっている。
 カカシを立てないことが、この村での流儀なのは、カカシに何者かが取り付くという言い伝えがあるからだ。
 その原因となった事象がいつ起こったのかは分からない。はじめの頃は分かっていたはずだが、今は、昔々の神話のようになっている。また、そういう記録は残っていない。
「どんな伝説なのですか」
 高校生は稲作りよりも、その伝説に興味が行ったようだ。老人は、やっと喋れるネタが出来、村の長老役が出来ることを楽しんでいるようだ。
 つまり、この高校生が、聞く耳を持っていたのだ。きっと不思議な話が好きなのだろう。そういう聞き手があってこそ、老人も気分良く語れるのだ。
「わしが子供の頃に聞いた話なのでな」
 この老人は、自分のことをわしとは普段、言わない。だから、もう語り部の口調になっているのだ。
「山田の中の一本足のカカシがのう」
 この台詞は、童謡から取ってきたのだろう。
「歩き出すのじゃよ」
「一本足で歩くのですか。それはスキップのようなものですか」
 二足歩行ではないことは確かだ。
「歩くという言い方がいけない。移動するんじゃ。すーとな」
 この高校生は、仲間と一緒にカカシを作った。男子で一本、女子で一本だ。だから二本のカカシが間隔を置いて立っている。確かに一本足で、それを田圃の中に突き刺している。倒れないように、かなり深く。だから、カカシが自力で、足を抜くのは大変ではないか。と、高校生は思ったのだが、そんな野暮な問いかけはしない。
「夕方見たときと、朝に見たときとでは位置が違うのじゃ。これは移動したと見るべきじゃろう」
 この老人、普段は「じゃろう」などとは言わない。
「それだけですか」
「ああ」
「もう少しあるでしょ」
「言い伝えではタゴサクという人が、乗り移ったらしい。タゴサクは村人によって殺されたのじゃ」
「殺人事件ですねえ」
「もめ事があったらしい。天狗にさらわれたことにしたらしいが、実際には殺したのじゃ。その後、秋になるとカカシが動くようになった」
「じゃ、そのタゴサクさんがカカシに乗って遊んでいるようなものですか」
 原付バイクを乗り回しているように聞こえる。
「すわ、タゴサクの仕業と、村人はすぐに気づき、その後、カカシは立てないことにした。そういう言い伝えじゃ」
「じゃ、そのタゴサクさんはどこへ行ったのですか」
「だから、あんたらが立てたこのカカシが心配なのじゃよ」
「そんなに長く、この世にとどまるものでしょうか。カカシが消えれば、別のものに乗り移って、脅かせばいいのに」
「カカシでないと、だめなんじゃ。なぜだめなのかは分からぬが、田圃に関することで、争いになったらしい。カカシが関係しているのだろうよ」
「お爺さんはそれで心配して、このカカシをいつも見ているのですか」
「ああ、いつ動くか、今動くかと、どきどきしながらな」
「でも、動きませんよ」
「この話は決して人に語ってはならん」
「故老の話として、貴重だと思いますが」
「聞いた奴が、きっと動かす」
「ああ」
 その後、カカシは動かない。そして、稲刈りの日、カカシを抜こうとすると、何者かが抜こうとした痕跡があった。これは、足を抜こうとしたタゴサク自身かもしれない。
 故老の話を聞いた高校生は、誰にもそれを語っていない。
 他の高校生がカカシを抜いた。
 老人は、遠くから、それを見ていた。
 
   了


2012年10月16日

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