小説 川崎サイト

穴物怪談

川崎ゆきお


「それは穴物ですなあ」
 神秘家がある怪談を聞いて、そう答えた。
 その怪談はトイレを舞台としたもので、その数は結構多い。トイレ系怪談だけでも、分厚い本が出来そうなほど。
 トイレも時代により変化し、昔の薄暗いイメージはない。ただ、「トイレの百ワット」と言われるほど、必要以上に明るくしないのが普通だ。電灯がまだなかった時代よりは遙かに明るい。
「便所の怪談は穴物なんだよ。これは粉物から来ている。お好み焼きやタコ焼き、うどんを入れてもいい。要するに小麦粉をこねた物を差す。怪談での穴ものとは穴を舞台としたものだ」
「トイレも穴なんですか」
「便所は穴だらけじゃないか」
「ああ」
「それよりも、便所という空間は狭い。寝起き出来るほど広い便所もあるだろうが、何事にも例外はある。押し入れも穴物だ。物置もな。
 その怪談とは、マンションでの話だ。トイレが舞台になっているのではなく、その手前だ。
 つまり、トイレのドアが出現するという怪談。
 壁にトイレのドアがいきなり現れる。壁の向こうはお隣さんの部屋だ。従ってそのドアを開けてもトイレは出てこない。マンションの間取りは似ている。その壁は和室にある。壁の向こうは、お隣さんのリビングのはずだ。
 穴物だが、穴そのものがあるわけではない。その幽霊のようなトイレのドアは閉まっている。ロックされているのだ。誰かが入っているのだろうか。だが、トイレそのものが幽霊だとすれば、その中に入っている人は誰なのか。
「一人暮らしですからねえ。僕じゃないですよ」
「もう一人の君が入っているのかもしれないよ」
「そんな馬鹿な」
「しかし、ロックされており、中を覗けないのだから、確かめようがない」
「そうです。ノックしても反応はありません」
「ほほう、ノックしましたか、その幽霊便所のドアに。音はどうでした」
「いつものトイレのドアと同じです」
「いつものトイレのドアは、いつもの場所にあるのでしょ」
「はい、風呂の横です。廊下にあります。だから、和室からトイレまで行くには、一度リビングに出て、そこから廊下に出ないと駄目です」
「その和室の壁には他に何があるのかね」
「引っ越ししたときに運んできた洋服箪笥です。それとハンガー掛けもあります」
「その和室で、君は寝ておるのかね」
「そうです」
「で、便所のドアはいつ出現します?」
「たまにです」
「たま?」
「夜中に目覚めたときです。寝る前も、起きたときも、そんなドアはありません」
「夜中、目を覚ますと確実にあるかね。そのドア」
「毎回ではありません」
「同じ夢を繰り返し見ることはよくある」
「幽霊ですよ。ドアの」
「便所に行きたかったから起きたのでしょ。それは夢だよ。まだ起きていない。尿意が便所の夢を見させ、促しているだけです」
「しかし、同じドアが出現します」
「だから、同じ夢を何度も見ることはよくあるのだよ」
「じゃ、やはり夢なんですか」
「ただ、そのドアはショートカットですなあ。寝室と本当の便所とは遠い。すぐ横の壁が便所なら便利でしょうなあ。そういう願望も含まれているんだ」
「でも、何故ロックされているのですか。出そうなのに」
「だから、まだ夢の中だから、ロックが必要だからさ」
「でも、以前見た夢は、出している夢でした。起きたとき、決して漏らしていませんでしたよ」
「その便所の夢を見たあと、君はどうしました」
「夢だとは思いませんから、ドアを開けようとしました。でも開かないので、そのまま」
「そのまま、どうしました」
「本物のトイレへ行って用を足したり、また、覚えていないこともあります」
「また、眠ったのでしょう」
「はあ」
「しかし、ユニークだね。壁にトイレのドアが出る夢とは」
「今度は中に入るつもりです」
 その後、トイレのドアは現れなかった。
 きっと、この話を人にしてしまったためだろう。
 人に話せば消える怪談も結構ある。
 
   了

 


2012年10月21日

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