小説 川崎サイト

夜汽車

川崎ゆきお


「希望という名の夜汽車はあるのでしょうか。乗れるのでしょうか」
 弟子が師に問う。
「わしは、孔子でもブッダでもソクラテスでもない。だから、的確な答えなど出来ぬが、それでもいいか」
「はい、お願いします」
「夜汽車というのは、もうなかろう」
「早速ですね。師匠」
「答えるとすれば、その程度じゃよ」
「希望号という修学旅行専用列車があったように記憶していますが」
「君は何歳だ」
「いえ、体験はないのですが、お年寄りが言ってました。昔、希望号に乗ったんだと。これが夜汽車だったのです」
「夜行列車だな」
「はい。しかし、私が聞きたいのは、そういった物理的な乗り物ではなく、希望に向かって進む方法です」
「君には希望はあるのか」
「ありすぎて、困っています」
「希望は一つに絞ったほうがいいが、どうじゃな」
「それが師匠。正反対な希望があるのです。これは何でしょう」
「喩えなさい」
「例を挙げればいいのですか。実例があります」
「語りなさい」
「冒険家になりたいのです。その反面で地味に暮らしたいのです」
「ああ」
 師匠は、即答できなかった。そのパターンに対しての解答を用意していなかったからだ」
「考えないといけない。少し待て」
「はい」
 師匠は腕組みした。
「矛盾だろうなあ」
「師匠、それなら、私でも答えられます。だから、どうしてその矛盾が起こったかです」
「矛盾とは、盾と矛があって……」
「その説明は知っています」
「そうか」
 師匠は、自身の頭で、即答しなくてはいけなくなった。頭を使うのは久しぶりのようだ。
「日常生活の冒険というのはどうだ」
「聞いたことありますよ。そのフレーズ」
「日常を冒険の場にする。それなら矛盾せぬ」
「でも冒険って、見知らぬ土地へ行ったり、見知らぬ環境や人と接したり、危険があったり、お宝があったりする世界でしょ。日常の中にはそんなのないじゃないですか」
「だから、ここで言う冒険とは抽象概念で、具体的な物ではない。故に冒険のエキスだけを問題にすればいい」
「でも、目が覚めれば、いつもの部屋ですよ。これって冒険の旅とは言えないでしょ」
 師匠は詰まった。
「冒険には出たいのですが、静かにのんびりと暮らしたい。そう言うことなんです。これは何でしょう」
 師匠は、先ほどのことを考えている最中、新たな問いかけが加わったので、混乱した。
「それは、君自身の心のありようだろうなあ」
「だから、どうしてそんなありようになっているのかです」
 深いところに入り込んだので、師匠は闇を掴むしかない。
「冒険だけでは駄目か」
「駄目です。だって食べていけないと思います。だから、地味に働かないと駄目です」
「じゃ、静かに地味に働いて、お金が貯まれば冒険に出ればいいじゃないか」
「だから、それはただの旅行なんですよね。冒険じゃない」
「じゃ、やはり希望という名の夜汽車に乗るしかなかろう」
「走っていません」
「父ちゃんのポーが聞こえる」
「狂いましたか、師匠」
「鉄道員の父親の物語だ」
「ああ、フィクションですか」
「フィクションを地で行く。これだ」
「それは適当すぎます。的確な答えじゃないですよ」
「今日は調子が悪い」
「体調ですか」
「いや、いつもなら、簡単に君を欺し、誤魔化せるのだが、今日はうまい言葉が出んのだよ」
「じゃ、次回は、出るようにしてください。お金を払っているんですから」
「分かった。努力する」
 
   了



2012年10月26日

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