小説 川崎サイト

三笠焼き

川崎ゆきお


 岩田老人は縁側でひなたぼっこをしている。体がぽかぽかし、気持ちがいい。
 そして買ってきたお菓子を食べているのだが、何となく腑に落ちない。いや、腑に落ちてもいいのだが、思っていたものと違う。
 その菓子は和菓子で、三笠焼きだ。三笠山は奈良の若草山のことで、その形に似ている。なだらかで丸い山だ。中身は同じでも切り立った太鼓型をしているものもある。太鼓饅頭、どら焼き、今川焼き、色々な呼び方がある。生地も違うので、一括りでは呼べないのだが。
 岩田老人の住む私鉄沿線での売店では御座候と呼ばれている。形が座布団に似ているためだろうか。
 今、岩田老人が食べているのは三笠焼きだが、十個入っている。計算すると一つに二十円ほどだ。わけあり商品となっていた。
 よく見ると、三笠山のなだらかさはない。ひん曲がった円盤形をしている。崩れたので、商品にならないのだろうか。
 そして、先ほどから腑に落ちないと感じているのは、口に含み、噛みだしてからだ。
 歯に来るのだ。
 歯にくっつくのではなく、中に入っているアンコが問題なのだ。岩田老人の歯は検査機のようなもので、悪いアンを口に含むと、三箇所ほどの歯が反応する。染みるのだ。これは添加物による甘味のためだ。
 形が崩れているだけで安いのではなく、アンそのものも安っぽいのだ。だから、最初から安い三笠焼きだ。
 甘いものを食べると、歯が染みるとは限らない。その証拠に少し高い目の和菓子なら大丈夫なのだ。そのアンコは歯に染みない。
 だから、得した気分で買った三笠焼きだが、残り九個を食べる気がしなくなった。
 すると一つ二百円もする高価な三笠焼きを買ったことになる。
 犬や猫にやっても食べないだろう。しかし、腹を空かした野良猫なら、食べるかもしれない。
 だが、得した気分を味わいたい。それには残り九個も食べる必要がある。ただ、一気に三笠焼きを十個食べることは危険だろう。
 その三笠焼きは一つ一つパックされていない。だから、早く食べないと、乾燥してしまう。きっと黒いアンコから白っぽい粉を吹き出すだろう。
 岩田老人は一気に三つ食べた。
 満足感を得るためには、大量に食べる必要がある。安いのだから、いくら食べても平気なのだ。そして、平気で平らげてもいい。
 しかし、美味しいものなら満足度は高いが、食べる度に歯に染みるのでは、苦行ではないか。
 歯に染みるのはアンコではなく、生地の方ではないかという疑惑も起こる。これは安いカステラを食べたとき、染みた。アンコではなく、蜜だろうか。
 しかし、中のあんこだけを食べるのは行儀が悪い。それにそれでは三笠焼きを食べたことにはならない。単にアンコを食べたことになる。
 そして、もしアンコだけを食べ、それでも染みるのなら、意味がない。
 歯に染みるといっても痛いわけではない。我慢出来る。これはぱくぱくする快感を得るための僅かなリスクだ。越えられるリスクだ。
 残った三笠焼きを見て、忌々しく思うものの、捨てるわけにはいかない。せっかく安く手に入れた満足感が消える。
 ひなたぼっこで、少し暑くなったのか、それとも糖分を取り過ぎたのか、頭が痛くなってきた。
 三笠の山十連峰を売り場で見た感動は、もうない。
 
   了


2012年10月30日

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