小説 川崎サイト

 

飽き性

川崎ゆきお


 昨日と同じような今日が来る。昨年と同じような今年が来る。これは安定感があり、いいのだろう。なによりもベースのようなものが出来ている。このベースがあるから昨日と今日との僅かな違いが見えるのかもしれない。
 しかし変化していないものを見ても、あまり意識しないだろう。照らし合わせたりはしない。変化があり、違いがあると、妙に感じ、意識的になる。
 だが、その違いもよくある違いや、予測されている違いなら、すんなりと受け入れるだろう。未来に対する違いまでも先取りしていることになる。
 だから、意外な。というのが予測されていなかった違いが現れたときだ。
 何事にも飽きやすい吉田は、すぐに飽きるだろうと思いながら、次の方針を考えている。飽きることはもはや変化ではなく、定められたコースであり、予測可能な事柄なのだ。
 飽きやすい吉田は出来るだけ飽きるまでの期間が長いものをやる必要を感じた。飽きることは分かっているので、期間を延長する作戦だ。その事柄に対して死ぬまで飽きないでやっている場合、飽きないのではなく、まだ飽きていないだけで、寿命の方が先に来ただけだ。これは病気の進行を遅らせる作戦に似ている。その病が死因になる前に老衰死するようなものだ。
 吉田は相も変わらず同じことばかりしている人に憧れる。
 その代表のような友人に高島がいる。
「何故飽きないで、やっていけるのか」
 ある日、質問する。こういう質問は合っていきなり出来るものではない。従って用件が済んだ後の雑談で、ふと聞いたのだ。
「そりゃ、飽きますよ。僕だって。むしろ飽きやすい性分だ」
 吉田は意外な気がした。予測している答えとは違っていたからだ。
「じゃ、いつも同じその鞄を持っているのはどうしてだ。飽きないかい」
「ああ、これかい。鞄なんて適当でいいんだ。興味がない。壊れたり破れたりすりゃ、替えるよ」
「興味がないから飽きない。それはいい。それは」
「ああ、この鞄も高いものじゃない。鞄の善し悪しなんて、深く考えたことはない。だから、適当に選んで買ったよ、いや選んでいないかもしれないなあ。買ったのは覚えているけど、店屋も忘れたなあ」
「興味のない事柄だと飽きない。そう言うことだな」
「ああ、気にならないからね」
「分かった。気に入ったものほど飽きるということだ」
「さあ、それは知らないけど、この鞄を買ったのは確か衝動買いだったかなあ。前の鞄もまだ使えたんだけど、大金が入ったとき、何か買いたかったんだな。それで、買ったんだと思う。今の話で思い出したよ。この鞄を買ったときの様子を」
「じゃ、その前に使っていた鞄、確か茶色の皮の、匂いのしそうなショルダーだろ」
「ああ、あれはどうして買ったのかなあ。もう覚えていないよ。でも鞄が欲しくて買ったんじゃないと思うなあ。確かあれは、前のがボロボロになって、汚くなったからだよ」
「じゃ、さっきの話に戻るけど、大金が入れば鞄を買うのかい」
「大金じゃないけど、予定外の入金があったので、無駄遣いしたくなったんだ。もし靴屋の前を通っていれば、靴を買ったかもしれないなあ」
「僕は物事に飽きやすいんだけど、高島君はどうだい」
「確かに君は飽き屋さんだ。それは何かに熱中するからだろ。すぐに飛びつき、すぐに飽きる。だけど、君の場合も、あまり熱心にやっていないことは長く続いているんじゃないかな」
「分かった。興味があまりないようなことの方が長続きするんだ。熱意があるほど飽きやすい。そういう結論で、いいね」
「だから、そこが君の悪い癖で、今度は飽きることに熱心になる。飽きるとか、飽きないとかに熱心になる。だから飽きないように飽きないようにやればやるほど飽きるんだ」
「それは性分だから仕方がない」
「そうだね」
「僕は、地味なことをじっくりやっている人に憧れるんだ」
「だから、そういう憧れる熱がいけないんだよ」
「難しいなあ」
「習慣になれば、長続きするかもしれないよ」
「なるほど」
「それで、その習慣が長ければ長いほど溜も大きい。だから、止めるとき解放感がある。同じ止めるにしても、ちょいちょいとやってたんじゃ、この効果はない。長年やっていたことを、すっと止めるときの気持ちよさが弱い」
「それは、君の性分だろ」
「まあ、そうだな。だから吉田君には当てはまらないかもしれないねえ」
 興味の薄いことを長く続けても、あまり嬉しくはない。吉田は、高島の意見には賛成するにはするが、今一つ地味だ。
 その後、吉田は飽きることにあまり熱心ではなくなった。飽きることが日常化していたのだ。
 そして、飽きないで同じことをやっている人を羨ましいとも思わなくなっていた。注目ポイントが変わったようだ。
 要するに飽きることに飽きたのだ。
 
   了

 


2012年11月3日

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