小説 川崎サイト

 

怪し火

川崎ゆきお


 吉田の家の近くに荒っぽい川がある。自然にできた川なので、荒っぽく見えるのだろうか。確かに昔はこの川はよく氾濫していたようだ。自転車で一時間も走らない間に山に着く。上流はこの山々にある。
 その山のとっかかりにお寺があり、観音様がまつられている。今も観光で訪れる人がいるのか、参道に土産物屋が並んでいる。そのお寺の裾の広がる平野に吉田は住んでいる。そして、荒っぽいと思っているその川は、お寺の近くにある渓谷へと抜けている。
 さて、吉田は暇なので、たまにこの川沿いをさかのぼる感じで、お寺へ行くことがある。サイクリングとしては往復二時間ほどだ。川の堤がサイクリングコースとなっている。そのため、非常に走りやすい。土手の高見から住宅地を見下ろす感じだ。
 さて、怪し火だが、昔はその川筋に出たらしい。川に火の玉が出るのではなく、近くにある竹林などの茂みに浮かぶようだ。今は怪し火が出そうな茂みは減っている。つまり怪しい空き地や森のようなものが消えたからだ。
 この川はお寺へと繋がっているのだが、船を浮かべるほど広くも深くもない。また、今でこそ土手がそのまま道になっているが、昔はない。
 お寺へ行く道は別にあるが、今はあちらこちらで寸断され、石の道標が残っているだけだ。また私鉄の踏切名に、その寺道名が残っている。だから、人気のスポットだったのだ。参道よりの遙かに長い道だ。
 だから、人はこの寺道を通る。川をさかのぼった方が早いのだが、道がない。怪し火が川筋沿いに出るのは人ではないためだろう。だから、妖怪などの通り道なのだ。
 怪し火は火の玉ではなく、提灯のようだ。だから、怪し火本体は普通の火なのだ。怪しくも何ともないが、茂みの中でぽつんと明かりが浮かび、じっとしているところが怪しい。提灯を持っている人が怪しいのだ。
 だが、人なら寺道を通るはずだ。しかし、近くの人がお寺とは関係なく、通っているのかもしれない。それなら提灯も移動するはずなのだが。
 これを昔の人は狸の寺参り、狸の観音詣でと呼んでいた時期がある。信心深い狸がおり、人に化けてお寺参りをしていると。しかし、深夜に参るのはおかしい。それにお参りの途中なら提灯も動いているはずだ。それが長く灯り、しかもすっと消える。だから、移動ではないと見る人もいた。
 そして、提灯ではなく、やはり怪し火で、火の玉や鬼火のようなものだろうと言う説が出てくる。
 だが、提灯の明かりなので、炎の形ではなく、ぼんやりとした柔らかな光だ。
 吉田はその謎を追うつもりはないが、怪し火が出たと噂されている場所を探索すると、提灯屋があった。当然廃業しているのだが、看板だけが残っている。かなり昔からある提灯屋で、今で言えば電気屋のようなものだろうか。
 その提灯屋が怪しいと吉田は結論づけた。
 この提灯屋の先祖が、提灯の実験をしていたのではないかと。つまり、どれぐらいの時間持つとか、どの程度の明るさか、または、遠くから見た場合、どんな感じか、などだ。
 だから、怪し火ガがふっと消えるのは、実験用に置かれた提灯のローソクが自然に消えただけなのかもしれない。
 
   了

 


2012年11月11日

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