小説 川崎サイト

 

名園

川崎ゆきお


 廃屋ではないが、放置されている農家がある。まだ住もうと思えば住めるのだが、辺鄙な場所にある。村そのものが崩壊状態だ。ある軍団がその村を襲ったわけではない。跡取り息子が都会に出てしまい、住む人がいなくなったのだ。
 高橋はそんな村が好きなので、たまに訪れる。悪い趣味だ。崩壊していくものを見るのが好きなのだから。
 その村は無人ではないが、空き家には自由に出入りできる。忍び込むようなものなので、泥棒と変わらない。
 門が閉ざされ、勝手口にも鍵がかかっているような屋敷には、高橋は入らない。土塀や塀が壊れ、透き間が空いているような家を狙っている。
 その中の一軒に、見事な日本庭園の屋敷があった。見た目は農家なのだが、その裏側は山を借景とした立派な庭となっている。
 ある期間までは手入れされていたのだろうが、住む人がいなくなり、荒れ放題だ。
 池があり、土橋がかかり、山から引き込んだ川もある。年代物の松は蛇のようにのたくっている。人が手を入れた松だ。
 引き込んだ川沿いには石や岩が置かれ、植木が紅葉している。紅葉や楓だろう。それらが自然に戻ろうとしているのだが、まだまだ人が加えた形は消えない。
 高橋は、こういう庭園を見るのが好きなのだ。だから、観光地にあるような名園などには興味はない。
 この村は自然が豊かだが、豊かすぎて、逆に飽きてくる。だから、人が手を加え、不自然さが残っている場所を好んだ。
 たとえば里山で開けたところがあり、木が植わっていない。そして太いめの木の枝か幹、この場合丸太だが、それが積み上げられている。おそらく椎茸でも栽培していたのだろう。明らかに人が手を加えた跡だ。
 だから、自然を見に行くのではなく、人の気配を見に行くのだ。当然、そこにはもう人はいない。だから安心して見てられる。
 農家の日本庭園も、主がいると興味がなくなる。そういう人が消えた後が、実は見所としては旬。一番の見せ場なのだ。
 人々の営みをライブで見るのではなく、もうやっていない場所を見るのが高橋流だ。これを人は悪趣味という。だが趣味そのものが悪いような行為なのだ。決して興味本位で、趣味として接してはいけないことが多い。
 枯山水などを見るより、放置され、枯れた痕跡を見る方が募らせる思いの情報が多い。
 高橋はそれをデジカメで写す。あくまでも個人的コレクションとして。
 
   了


2012年11月16日

小説 川崎サイト