小説 川崎サイト

 

古武士

川崎ゆきお


 古武士のような佇まいの人。田中はこれを理想にしていたが、なかなかそこには至らない。何処かに無理があるようだ。
 古武士とは古い武士、お侍さんだ。武士そのものが今から見ると古い。時代劇の世界だ。さらにその古い時代の武士より古い武士となると、何処まで遡ればいいのだろう。おそらく鎌倉武士ではないかと田中は考えた。
 では新しい武士とは、どの時代の武士だろう。最後の武士と言われた人は、明治時代まで髷を結っていた人だろうか。
 しかし、田中の中でのイメージは江戸時代の武士だ。こちらのほうが馴染みがある。そして古い時代の武士ではなく、古い頭の武士。これは無骨者ではないが、行儀のいい人だ。
 さらに考えを巡らせると、老いた武士ではないかと。つまり老人なのだ。若い侍にも古武士の風格がある。だから、この案も少しぐらつくが。
 時代遅れの武士が、古武士かもしれないが、これもどの時代を基準にして考えるかだ。
 これらはきっと武士とはこうあるべきというようなマニュアルによるものではないか。そういうのが書かれた時期は、武士らしさが損なわれつつある時代だったのかもしれない。
 ただ、田中の武士観は、時代劇などを見ていてのイメージだ。そこに出てくる古武士のイメージなのだ。または、たとえ話で使う「古武士のような」古武士だ。
 古武士の評価は悪くはない。風格がある。控えめで律儀。当然武士階級なのでインテリだ。漢文が読める。
 そう考えると、田中から離れていく。田中はあまり賢くはなく、また学問もない。どちらかというと商人風だ。愛想がよく、話を合わせるのがうまく、そして八方美人だ。さらに飽き性で、平気で人を裏切る。
 しかし、それが商人タイプだと言っては商人に失礼だ。
 それで古武士との相性悪いので、古武士にはなれないと思っていたが、一つだけ共通点があった。それは商人のことを考えていたときだ。
 つまり、田中は金儲けが下手なのだ。だから、商人より、武士や農民や職人に向いている。
「農民かぁ」
 田舎で余生を野良仕事で過ごすのなら問題はないが、田中はまだ若い。最初からそれを狙いたくない。
 やはり古武士がいい。これは精神だけでいいのではないか。「気持ちだけ古武士」ならいいのではないか。
 田中は古武士を演じるのが好きだ。だから、その路線でいいのだと思うことにした。
 古武士のような佇まいなのだから、これは風景のようなもので、雰囲気だけでいいのだ。
 
   了



2012年11月25日

小説 川崎サイト