小説 川崎サイト



譲れない一線

川崎ゆきお



 秋山は平凡を装っていた。そして平凡な勤め人生活を二十年過ごした。平凡な結婚をし、平凡な家庭を築いている。
 決してそれは平凡ではないことを秋山は知っている。無理に平凡を装っているのだ。
 秋山はすべての人間は非凡だと思っている。それは自分のことを振り返ってのことだ。
 譲れない一線。秋山にもそれがある。しかしいくつかの線は決壊し、土手は崩れ、譲ってしまった一線が多い。
 あまりにも譲れない一線が多すぎたのかもしれない。または許してもいいような一線を多く持ち過ぎたのかもしれない。
 結果的には平凡な暮らしを得ることが出来た。それが上辺だけでも構わない。世間は誰も秋山を非凡な男だとは思っていないはずだ。
 実際に秋山は普通に平凡なのだ。それは計算する頭があるだけのことかもしれない。
 その日、秋山が起きたのは昼前だった。妻と子は遊びに出ている。
 土曜の夜、録画していた映画を立て続けに観ていたので起きられなかった。
 秋山は布団の上であぐらをかき、寝起きのタバコを吸う。
 自分にはもう譲れない一線などなくなったのかもしれない……と、妙なことを考える。
 別に何かがあったわけではない。そんなことを考える理由などない。
「妙だ」
 二本目のタバコを吸う。
 何か落ち着かない。気になるのだ。
 秋山は服を着替え、外に出る。
「なぜ、そんなことを考えるんだ」
 秋山は近くの川へ行く。土手の階段を下り、夏草の生い茂る河原に出る。
 背の高い草をかき分け、人目のつかない場所まで入り込んだ。
「考えるようなことじゃない」
 秋山は水際まで近付き、腰を下ろした。釣り糸が草の枝にからまっている。それを指でたぐった。
「なぜ、こんなことをしているんだ」
 秋山は川の流れを見続ける。
「私は……」と、口に出したが、その先が出てこない。
 秋山はたぐった釣り糸をピンと張り、線を作った。
「こんな線が何になる」
 ぐっと引っ張ると指に糸が食い込んだ。
 秋山は切るのを諦めた。
 指から出ている血を秋山はじっと見つめた。
 
   了
 
 



          2006年9月5日
 

 

 

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