小説 川崎サイト

 

生理を読む

川崎ゆきお


 人は何を考えているのか分からない。それを読むのは至難の業だ。そのため読み違えて当然だろう。それが普通なのだ。読めると思う方がおかしい。
 吉田は上司に、ちょっと面倒な用件を持ちかけた。上司の裁断というか、その判断は、かなり考えないといけないことだったので、吉田も口にしにくく、上司も話題にしなかった。要するに後回し、先送りにしていた。
 しかし、そろそろ言い出さないと、吉田が苦しくなる。上司は苦しくはない。そのため吉田はそれを言い出すのは苦しい。
 ある日、隙間があった。上司は特に何かをしていないようだ。ぼんやりとモニターを見ている。マウスをたまに動かしているだけで、動きもゆっくりしている。これを隙だと吉田は見た。
 そして、吉田は面倒な案件を言い出した。
 上司は歯が痛かった。それどころではないのだ。ゆっくり考えるゆとりがない。
 その案件を聞いたとき、上司は判断に迷った。歯が痛いので、その話題に乗りたくない。痛みはじんわり来ている。それで根気を失っている。何かに集中していても、歯の痛みが邪魔をする。こういうときは短気になる。だから、短い話題なら何とかなるが、少しの間考えなければいけない事柄では長く持たない。だから、ここは難しい顔をして、拒否することだ。要するに今、私は機嫌が悪いので、というような。
 それで部下の吉田も空気を読んで、出直すだろう。
 もう一つの判断が上司にはある。それはこの歯の痛みを忘れるため、その案件に突っ込むということだ。
 その案件を受けれることは、上司の痛みに繋がる。その痛さで、この歯の痛さを忘れるのではないかと。
 吉田は突っ立っている。
 上司はどちらを選ぶか判断中だ。案件の内容ではなく、その場の過ごし方の。
 過ごす。
 それは、今日は歯が痛いので、それが治まるまで、静かに過ごしたい。
 実は吉田は腹が痛かった。その痛みを忘れるため、面倒な案件、懸案事項をぶつけにきたのだ。これで、腹の痛みを忘れるのではないかと。
 この話をやると上司は機嫌が悪くなることを知っている。だからただではすまない。大きなダメージを受けるだろう。どうせ腹も痛いことだし、痛みついででちょうどいいと思ったのだ。
 上司は不機嫌な顔で、じっと吉田を見つめている。どうやら穏やかに過ごす方を選んだようだ。この不機嫌顔を吉田は察知し、立ち去るだろうと。
 吉田はガードを固めた上司に、挑みかかろうとした瞬間。腹の鈍痛が激痛に変わった。下痢だ。
 吉田はそのまま腰を引きながら、トイレへ走った。
 空気を読む前に、互いの生理を読む必要があるようだ。
 
   了

 


2012年12月18日

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