小説 川崎サイト

 

手鏡

川崎ゆきお


 長く開かずの間となっていた。
 特に封印していたわけではなく、用事がないので、立ち入らなくなった部屋だ。
 その部屋は屋敷の奥まった場所にあり、孫娘は納戸だと聞かされていた。仕切りは襖や障子ではなく板戸。中は畳敷きの四畳半。
 母親からは婆ちゃんの物置だと聞いている。この婆ちゃんから見ての孫娘で、誰を基準にして見るかで呼び方が違う。
 この屋敷ではその婆ちゃんが家長のように振る舞い、家の中心となっている。爺ちゃんも健在だ。
 さて、開かずの間だが、婆ちゃんの母親に当たる人の部屋だったらしい。しかし、普段はあまり使っていなかっらしく、その当時から物置のような感じだった。
 孫娘が手鏡について聞いたのは婆ちゃんからで、これは遺言のようなものかもしれない。
 婆ちゃんの母親は既になくなっている。生きていれば百をかなり越えている。
 その大婆ちゃんが芸者さんだった。
 それでもうこの手鏡の正体も分かるだろう。
 開かずの間は、大婆ちゃんが芸者時代の品々を仕舞っておく場所だった。この家に嫁いだ芸者の大婆ちゃんは、嫁入り道具ではなく、芸者時代に引き継いだ品々を持ち込んだのだ。化粧道具を入れる箱は先輩から貰い受けたもので、その先輩も、またその先輩から譲り受けた。なぜ持ち込んだのかというと、譲る後輩がもういなくなっていたためだ。
 開かずの間は大婆ちゃんの物置なので日常的に出入りできる場所ではないため、開ける機会が減ったのだ。
 手鏡はその中の一つだ。
 婆ちゃんがぼける前に孫娘にその手鏡について語っていた。
 それはもう鏡としての機能を果たしていない。大婆ちゃんが愛用していた鏡だが、トランプのババ抜きのババなのだ。色町で手から手へ渡され続けてきた手鏡で、最後は大婆ちゃんが受け取ったことになる。
 孫娘が気になったのは、開かずの間の中にあるその手鏡だ。そういう怖いもの見たさの癖があったのだろう。
 孫娘は奥の部屋まで滅多に入ったことはない。陰気くさいためだ。それに用事もない。
 問題の手鏡だが、映っているらしい。
 手にした人の顔ではなく、別の人の。
 富松いう芸者さんらしい。その人が長く愛用していた。
 富松がどんな芸者で、どんなことがあったのかは伝えられていない。特にこれと言った椿事、情話があったわけではなく、ただ単に長く愛用していたということだ。
 何々の鏡という言葉がある。お手本になるような理想的な人を指す。
 富松ががそんな芸者だったわけではない。しかし、その鏡を愛用していたことは確かだ。
 富松は引退するとき、可愛がっていた後輩に手渡した。そこからババ抜きが始まったらしい。
 その後輩芸者も、その鏡をよく使っていた。別に富松の顔が浮かび上がったわけではない。もしそうなら生き霊だ。このとき、富松はまだ生きいた。
 これは色町伝説かもしれない。都市伝説のようなものだ。実体はない。噂なのだ。
 そして、手鏡はいろいろな人に手渡され続けた。そのとき噂も添付されて。なかには使わない人もいた。見るのが怖いので。
 大婆ちゃんは平気で使っていた。噂を信じなかったのだろう。
 その手鏡が開かずの間にまだある。
 両親が出かけたとき、孫娘は母屋の奥へ入り込んだ。自分の家なので泥棒ではない。婆ちゃんと爺ちゃと出くわすかもしれないが、婆ちゃんはぼけているので気にならない。爺ちゃんはカラオケに行っているので、大丈夫だ。
 開かずの間は古い炊事場の横にある。
 孫娘は躊躇なく開けた。
 開かずの間とは言いながら、結構開けているようだ。板戸は意外と軽かった。
 天井に裸電球がある。そのスイッチの紐を引っ張る。
 しかし球は切れていた。
 雨戸を少し開ける。さすがにこれは堅い。
 外光で室内の様子がはっきりする。確かに物置だ。古い家具類が骨董屋の倉庫のように積まれている。大きな茶箱もある。長櫃や針箱や、小さな箪笥もある。
 孫娘は婆ちゃんから手鏡の話は聞いたが、どこにあるのかわからない。
 その部屋は大婆ちゃんの記念館のようなものだろうか。
 鏡台が三本もある。姿見だ。柄布で覆われている。その鏡台の上に風呂敷が掛けられている。手鏡なので鏡台近くにあるはずだと思い、その風呂敷をめくる。化粧水やクリームの瓶が見える。その下に箱がある。しかも丸い箱だ。薄さと形からこれが手鏡だと思い、瓶類をのけて、尻尾のついたオタマジャクシの形をした黒い箱を取り出す。
 正解だった。
 蓋を開けると鏡面が現れた。大きな虫眼鏡のような形だ。
 孫娘は鏡面を見る。
 自分の顔が映っている。
 いろいろと角度を変えて鏡を見る。自分の顔がやや小顔に見える。広角系の鏡のようだ。
 自分の顔、そして背景の室内が映っているだけ。
 芸者の富松は映っていない。
 さらに見続けているうちに、自分と視線が合ったまま、目をそらすことが出来なくなった。自分の目を自分で見ているのだ。
 孫娘は気分が悪くなりだした。だから、早く視線を逸らそうとしているのだが瞳が動かない。
 たまらず手鏡を投げ出そうとしても、手が動かない。
 金縛りだ。それだけではなく、目縛りだ。自分自身が自分自身に見入られている。
 孫娘の顔が歪む。それがそのまま怖い顔として鏡に映っているのだから、怖さが倍以上掛かった。怖いので、怖い顔をする。その顔を見て、さらに怖くなる。
 足も手も動かない。そして、声も出ない。
 何とかこの縛りを解きたい。
 孫娘は動かせる箇所を探した。唇が少し動く。これは痙攣しているだけかもしれない。しかし、動かそうとしなければ動かない。だから、痙攣ではない。
 また、息もしている。ここは動いているのだ。しかし、見開いた自分の目を鏡で見すぎたため、一線を越えてしまう。
 つまり、気絶した。
 孫娘はカラオケから戻ってきた爺ちゃんに発見された。開かずの間を閉めていなかったのが幸いした。
 後日談になるが、孫娘は婆ちゃんに手鏡のことをもう一度聞いた。鏡には富松は現れなかったことや、見つめすぎて金縛りにあったことも。
 しかし、それを言い出した婆ちゃんなのに、首を傾げているだけだった。
 この婆ちゃん、いったいどこからこんな話を引っ張ってきたのだろう。単に耄碌しているだけにしては、リアルすぎた。
 その後、また婆ちゃんが孫娘に、ややこしいことを話し出した。
 長箪笥に着物が入っており、それを取り出せば敷き紙がある。それをさらに剥がすと鬼の絵が出てくる。その鬼は笑い鬼で、けたけた笑い、それを見たものは、笑い死にすると。
 孫娘は、今度は適当に聞き流した。
 
   了



2012年12月21日

小説 川崎サイト