小説 川崎サイト

 

雨の日のバス

川崎ゆきお


 雨が降っていた。かなりきつい。武田は躊躇った。駅まで自転車で行けない。行けなくはないが、かなりきつい降りだ。駅から都心部へ出る。忘年会だ。衣服を濡らしたくない。合羽を着ればいいのだが、濡れたものを持ち歩きたくない。
 駅まで自転車で十五分。この降りでは傘を差してもずぶ濡れだろう。
 会社の忘年会だ。あまりラフなスタイルでは行けない。上司も来ている。
 だから、躊躇う必要はない。すぐ近くにバス停がある。それに乗れば駅まで行ける。それは知っていたのだが、今まで一度も乗ったことがない。バスが嫌いなのだ。そして、雨の日、濡れた傘を持ち込むのも嫌だ。濡れていない箇所を出来るだけ持っているのだが、何かの拍子で触れてしまう。また、他の客の傘にも触れる。
 バスが嫌いな上、さらに嫌いな濡れた傘のことまで考えると、やはり躊躇する。しかし、それは些細なことで、誰もがやっている。むしろそんな雨の中で自転車でずぶ濡れになって走る方がどうかしている。だから、躊躇する必要ない。バスに乗ればいいのだ。
 武田はバス停のある方角へ向かう。当然傘を差して。その道はほとんど通ったことがない。全くないに近い。用事がないと通らないためだ。バスに乗る用事がないのだから、通らなくて当然だ。
 自分の住んでいる町内を隈無く踏破するような趣味は武田にはない。
 バス停までの沿道は従って始めて見るような家が建ち並んでいる。近所なので、いつもの道沿いと違う風景ではなく、並び方が違うだけ。同じユニットを並べ替えている程度。
 バス停は大通りにある。この道は知っている。しかし、車が多いので、いつも裏道を走るため、滅多にこの大通りには出ない。
 バス停があることは、知っている。この大通りを横切るとき、遠くの方に、バス停のポールを見ている。このポールには太陽光発電のパネルが設置されている。その形が珍しいので、見た程度だ。ただ、近くまで寄っては見ていない。
 バス停には浅い屋根がある。その下に入っても濡れる。日除け程度にはなるだろう。その下には誰もいない。誰も待っていないのだ。
 駅前行きがいつ来るのかは分からない。路線図を見て確認していないが、駅前行きのバスがよく通っていた。そこが終点で、枝はない。だからこのバス停からは駅前行きしかないはずだ。
 バス停でバスを待つのが嫌だ。決まった時間に来ないし、また、その間隔も長い。
 バス待ちの人がいないことから、当分来ないのだろう。この待ち時間が嫌なので、自転車を使っているのだ。たとえバスの方が速くても。
 しかし、意外と早くバスがやってきた。駅前行きだ。武田はあわてて傘を閉じた。濡れないようにうまく巻き込む、などの工夫は出来なかった。ばらけるので濡れている箇所を握り、開いたドアのタラップに足をかけた。
 二歩目で、後ずさった。
 満員だ。団体さんだろうか。それで中に割り込めないのではない。
 あり得ない。
 満員なのが、あり得ないのではなく、客が違っている。いや、客ではない。これは客とは呼べない。
 客は全員武田を見ている。運転手もだ。客は武田が通れるように隙間を空けてくれた。どうぞ奥へと言わんばかりに。しかし体が触れるほど満員なのだ。
 客の濡れ傘に触れるのが嫌なのではない。それを通り越したものがそこにある。もっと触れたくない肉がそこにある。
「ゾンビバス」
 武田は、その一言で片づけた。
 バスの乗車客はお年寄りが多い。
 
   了

 

 


2013年1月1日

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