小説 川崎サイト

 

神様になった日

川崎ゆきお


 新田は初詣で稲荷神社へ行った。
 まだ若い新田には信仰心よりも、観光としての意味合いが強い。稲荷神社まで電車を乗り継げば二時間ほどで行ける。この神社を選んだのは初詣で有名なためだ。人を見に行くようなものだが、部屋で籠もっていても面白くない。
 実家から送られてきた餅を年末から食べ続けている。食べ過ぎだ。それで運動のつもりで出た。
 稲荷神社は稲荷山の麓にある。駅から参道が続き、前へ進めないほど参拝客が多い。
 新田が降り立ったのはちょうど昼前。
 元旦の初詣で一番人出が多い時間帯かもしれない。朝、雑煮を食べ、その後、行く感じだ。
 新田も雑煮を作り、一人で食べた。具は餅と大根だけ。それまでは焼いて食べていた。元旦は雑煮、と言う頭がある。実家ではそれが慣わしだった。そのため、一応雑煮を作った。
 さて、稲荷神社の参道だが、進みが遅い。参道は狭くはないのだが、露店も出ている。その露店に参拝者がぶつかったのか、テントが揺れている。後ろから押されるのは分かるが、横に押されたのか、何人かが露店にぶつかったようだ。
 ここから本殿までかなりある。時間はあるのだが、並びたくない。新田は露店側へ寄り、そのまま枝道を見つけて、参道から外れた。家と家との余地のような隙間を通り抜け、裏道に出た。
 嘘のようにすいている。参道とは関係のない普通の家が並んでいる。しばらくは参道と並行しているのだが、家がとぎれると、すぐに行き止まりになった。
 稲荷山に突き当たったのだ。
 しかし、山は山だ。里山のようなものなので、いくらでも入り込める。すぐに山道を見つけるが、稲荷神社とは方角が違う。
 稲荷山は一つの大きな山ではなく、いくつもの瘤がある。その中で一番高い瘤を稲荷山と呼び、その麓から中腹にかけて神社らしい建物が並んでいる。
 山道はくねっており、どちらへ向かうのかは分からないが、どうやら登山道ではなく、裾野に沿って回り込んでいるようだ。だから、一向に高さが出ない。おかげで上り坂も少ないので、疲れないが、稲荷神社から離れる一方だ。
 すぐ下に家の屋根が見える。山を背にして建つ家のすぐ後ろ側だ。
 線路も見える。それで方角が分かった。この山道は里山によくある山際周遊コースだろう。今では山仕事などしている人はまれなので、散歩用かもしれない。地面がしっかりしているのは、それだけ踏む人が多くいる証拠だろうか。
 新田の目的地は稲荷神社。そして、参道をゆくより早く社殿に到達する間道。
 だが、この道は抜け道ではなさそうなので、方角を確かめ、登ることにした。
 道はないが、この程度の山なら簡単だ。上へ上と行けばいい。
 新田は木の枝や、草の葉や蔓を引っ張りながら、道なき道を上へ上と登っていった。
 それで峰に出ることが出来たので、後は峰づたいに、そういった瘤を何カ所か越えれば、一番大きな瘤である稲荷山に出られる。
 しかし、峰道はすぐに消える。大きな岩が立ちふさがり、その瘤を越えることが出来ない。
 そういう繰り返しをしながら稲荷山を目指した。下から人のざわめき、露店商の出す声、などがわずかに聞こえてくる。また、参道をゆく人々も何度か見ることが出来た。
 結局新田は稲荷山と呼ばれる峰の最高峰を登り切った。そこからの眺めはお稲荷さんになったような感じだ。本殿の真後ろに出たのだ。その屋根が下の方に見え、さらに駅まで続く参道も見える。
 新田は神様になったような気分だ。みんな新田を拝んでいるようなもので、拝まれる新田はその念のようなものを大量に受けている状態になっている。
 ちょっとした神様気分だ。
 これは初詣ではない。初詣でられだ。
 
   了 


2013年1月6日

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