小説 川崎サイト

 

得がたい居場所

川崎ゆきお


 そこに居られるだけで充分という吉田は、控えめな望みしか持っていないように見えるが、高い地位にいるわけではない。
 庭仕事を業としているが、園芸家ではない。また、工務店にも所属していない。庭師でもない。本人は庭番と呼んでいる。江戸時代のお庭番は忍者だ。しかし、吉田は忍術を使えない。武芸は出来ない。それ以前に忍者など必要とする時代ではない。警備システムがあれば、十分だろう。
 吉田は邸宅敷地内ではなく、その横の借家住まいだ。長屋だ。この長屋は、その邸宅の持ち物だ。
 吉田の仕事は雑用だ。いつもは庭の手入れをしたり、家の修理などもしている。
 主は高齢で、その息子と吉田は年齢が近い。息子は跡取りだ。そしてこの屋敷の主にいずれなる。主人の仕事は閑職だが高収入を得ている。何処かの大株主なのだろう。
 吉田が、ここに居るだけでいいというのは、この恵まれた環境による。誰でも出来ることではない。
 住み込みの使用人を雇うような時代ではない。この金持ち一家の家族構成は、老夫婦と息子夫婦とその子供達だ。
 吉田は失敗したビジネスマンで、職を失い、泥棒に入ったこの家が気に入り、そのまま居着いたようなものだ。屋敷を守るお庭番どころか、賊なのだ。
 しかし、吉田は今の暮らしが好きで、居心地がよいらしい。この一家の家来のようなものだが、これが実に新鮮なのだ。
 主人は他に人は雇っていない。だから吉田一人だ。そのため、家老であり、重鎮、重臣であり、そして下僕でもある。一人なので、何とでも言える。他にいないのだから。
 よほどのことがない限り、この一家が没落し、家財産を失うようなことはない。主人は何も事業らしきことには手を出していないためだ。
 吉田は庭仕事だけではなく、母屋の修理もやる。部屋の模様替えの時などは、家具なども担ぐ。だから、家の中に何があるのかは大体分かっている。当然貴重品のある場所も。それを盗んで、その金で一旗揚げることも可能だが、今の暮らしの方が仕合わせなのではないかと考えてしまうようになった。
 何よりも楽なのは、自分のペースで働けることだ。
 吉田は会社を起ち上げたことがある。その目的は、その方が儲かるからではなく、自分のペースで仕事をやりたかったのだ。
 犬が錯覚して、その家の主人は自分ではないかと思うように、吉田もその気持ちが何となく分かるようになった。
 もし何らかの理由で解雇されるような気配が少しでもあれば、お宝を盗み出す手はずも考えている。それは決して吉田の望むところではない。なぜなら、ここに、こうしていることが得がたい居場所だと心得ているためだ。
 
   了


2013年1月13日

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