小説 川崎サイト

 

迷い道

川崎ゆきお


 峠にさしかかった武者がいる。供は連れていない。さほど若くはない。
 峠を越えるまでは坂道だ。出来るだけ低い峰を越える。山の凹凸の凹箇所だ。そのため峠の頂は左右の山が迫っている。峠道はどちらの山に属しているのかは曖昧だ。
 武者はその峠の頂に人影を見る。一人だ。山賊なら武者には襲ってこないだろう。一人働きの賊かもしれないが、腕に自信がなければ、敢えて武者を相手にしないはず。
 登るに従い、人影の正体が分かる。山伏とも行者とも判別しにくい。山暮らしの猟師でもなさそうだ。
「ここから先へは行かぬ方がいい」
 これで賊ではないことは分かったが、では何者だろう。
「この峠を下ってはならぬ」男は重ねる。
 武者はそのまま無視して、やりすごうそうとした。曰くありげな物言いに付き合っている暇はない。その手には乗りたくない。
「御身のため」
「どうかしましたか」武者はついに反応してしまった。かなりの年配で、長者然とした風格があったためだ。
「お前様はわざわざこの道を選びなされた。誰に聞いたのかは分からぬが、確かに近道。しかし、旅人がここを越えることはまずない。里のものも、ここは通らぬ」
 武者が思った通り、訳ありの場所なのだ。しかし、宿場で聞いたときは、道は荒れ、険しいが近道と。
 武者は峠の頂まで登り、老人をやり過ごした。
「峠を越えたぞ。何も起こらぬ」
「この先の山間が危ない」
「出るのか」
「出るが、違う」
「何が違う」
「別なところに出る」
「ん」武者は意味が分からない。
「出るのは山間であろう」
「ここから見える山間にバケモノが出るのではない。別な山間に入ってしまう」
「そう言う場所に出てしまうと言うことか」
「そうだ。だから、決して近道ではない」
「しかし、宿屋で」
「おそらく伍作だろう」
「名は知らぬが、丸顔の小男」
「伍作じゃ」
「では、間違った道を教えたのか」
「お前様が強そうなので、教えたのだろう」
「それで、見張っていたのか」
「それは偶然。この辺りを調べておったところ」
「御老体も、その迷い道に入られたか」
「その寸前までな」
「うむ」
「山慣れた猟師も近付かぬ森。寄らぬの沢と呼ばれておる」
「ほう」
 武者の目が輝いた。実際には少し目を大きく開いただけ。
「止めても行く気だな」
 峠から、武者が目的とする里が遠くに見えている。その中間に黒い場所がある。寄らぬの沢、寄らぬの森だろう。
「危なければ引き返すのみ」
「やはり行かれるか」
「里は目と鼻の先、一気に走り抜ける」
 老人は武者の肩をぽんと叩いた。
「もう止めはせんが」と言いながら、懐から何かを出す。
「魔除けの木札」
「くれるのか」
「ここら一帯の有り難き神仏精霊の気を集めた木札」
「いくらだ」
「二両」
「そういうことか」
 伍作とこの老人はどうやらグルらしいと武者はみた。
 武者は老人の木札を拝む。
「これで十分」
 そのまま峠を下っていった。
 目と鼻の先、朝立てば昼前には着く距離に見えたが、武者が里に到着したのは翌朝だった。
 確かに迷いやすい道ではあったが、無事到着した。しかし、決して近道ではなかった。
 
   了

 


2013年1月22日

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