小説 川崎サイト

 

自転車屋

川崎ゆきお


「自転車が重いのですがねえ」
 アーケードのない商店街の小さな自転車屋だ。電動アシスト自転車の婦人が親父に修理を頼んでいるようだ。
「重いって何が」
「自転車が」
「どんな風に」
「ペダルが重い」
 親父はペダルを回す。
「ああ、重いなあ」
「そうでしょ」
 親父は原因がすぐに分かったようだ。
「電動なのに、重いのですよ。でもスピードは凄く出ます」
「ギアがね、重いところに入っているですよ」
 親父は、ペダルを回しながらカチッととハンドルにあるダイヤルを回す。すると軽くなった。
「あらまあ」
「中程に入れておきますよ。坂道なんかじゃ1に入れて下さい。速く走りたけりゃ3ですよ。今は2に入れておきますからね。このままでもいいですから」
「その数字が見えないんですよ」
「だから、重いときは3に入ってますから2にカチッと戻す。軽くて足が忙しすぎるときは2に戻す。いいですね」
「じゃ、故障じゃなかったんだ」
「奥さんが知らないうちに回したんでしょ」
「誰かが悪戯したのかもしれないわ」
「まあ、このカチカチは使わなくてもいいです。2に入れておけばね」
「だからあ、その1とか2とかの字がよく見えないですよ」
「字があるところは見えますね」
「見えます」
「読めなくても見えているでしょ」
「見えています。ぼんやりと」
「ここが真ん中です。これがずれていれば、1か3に入っているんですよ」
「ああ、なるほど。それなら分かります」
 もう一台自転車が店の前に止まった。客のようだ。
「はい、いらっしゃい」
「乗る前に毎回、それを見ないといけないんだ」
「はいそうですよ」
「いくらですか」
「いいです」
「ありがとう」
 実に何でもないエピソードだ。
 
   了

 


2013年1月29日

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