小説 川崎サイト

 

風雅

川崎ゆきお


 雨が上がり急に太陽が出た。
 路面がきらきら光る。眩しいほどだ。津田は光に向かって自転車を走らせるが、どこまで行ってもきらきらしたものを踏むことはない。常に前方にある。
 やがて右折したため、路面のきらきらは消えてしまった。
「おっと危ない」
 顔見知りの奥野にぶつかりそうになった。
「おお、津田さんか。前をよく見て走らないと、危ないよ」
「ずっと前を見ていたんだけどなあ」
「最近はどう」
 奥野が聞く。暇なのだろう。
「光るものを追いかけていた」
「光り物かい」
「きらきら光っていた」
「そんなのが走っていたのかい」
「そうとも言える。追えども追えども捕まえられない」
「何だい、その抽象事は」
「そうか、これは抽象事なのか」
「しかし最近ないねえ、きらきらしたものが」
「そうなんですよ。奥野さん。光るものはお宝で、それに向かって走れる。鈍い光じゃ、追いかける元気がない」
「今度は人生事かな」
「それほど大したことじゃないけど、あるほうが便利だよ」
「光るものか」
「そう、きらきら光るもの」
 二人は初老で、やるべきことは、もう既にやり終えていた。だから、老後どうするかのじじ臭い話だ。
 津田は自転車から降り、道端に座り込んだ。立ち話はしんどいからだ。
 歩道にある花壇が少しだけ段があり、尻を乗せることが出来る。
「でも、しばらくだなあ」
 津田が言う。
「顔はよく見るよ」
「僕もだ」
「しかし、話しかけられないなあ」
「声を掛ければいいのに、特に用事があって外に出ているわけじゃないんだから」
 奥野は頷く。
 二人の日常は似ていた。一日中テレビを見たり、ネットを覗いたりで、それに飽きると散歩に出る。
「さっきのきらきらなんだけど」
「光るものか」
「雨で路面が濡れていたんだ。そこに太陽の光が反射して、きらきら輝いていたんだ。真っ白になっているところもあったなあ。あれは神がかったものだよ。見なかったかい」
「ああ、何度も見ているさ。そういうの」
「今まで意識して見ていなかったんだ。いつもなら道が眩しいと思う程度でね。しかし、今日はそれだけを見ていた。これは何だろう」
「暇だからだよ」
「そうなんだけど、こういうのはまだまだ一杯あるような気がする」
「自然現象だろ」
「夕方の雲なんかも、気になってきた」
「それは珍しいことじゃないよ津田さん。花鳥風月だ」
「なんだいそれ」
「年齢により違う。最初は花に感心が行く。これはまだ若くて元気だ。次は鳥に行く」
「花より鳥に行く方が元気そうに見えるけど」
「本当は樹に行くんだ。盆栽のようなものかな。花は咲かなくてもいい。花を見るのではなく、枝振りを見る。葉を見る」
「次は」
「次は風だな」
「風は見えないでしょ。奥野さん」
「風景だと思えばよろしい」
「じゃあ、遠くの山並みを見るとか、田んぼを見るとかかな」
「自然の風景なら、何でもいい。田んぼより山並みがいいかな。川もいい。海でも」
「ふむふむ」
「次は月だ」
「ほう」
「これは空だと言ってもいいかな。さすがに太陽は見られない。目をやられるからね。だから、月や星、雲もいい。夕焼け朝焼けでもいい」
「要するに自然観賞がいいってことか」
「だから津田さんがさっき見た雨上がりのきらきらでもいい」
「自然の悪戯だ」
「それらは人様とはそれほど関わらない。俗界じゃなく風雅の世界だ」
「それは僕には無理だよ奥野さん」
「それはこちらも同じだよ。一日中そんなもの見てられないからね。だからテレビばかり見ているさ」
「風雅って、風流人のことだろ」
「そうそう」
「それは、わざとらしくて駄目だなあ」
「そうそう、何かあったとき、ネットで俗っぽく調べたりしているからねえ」
「じゃ奥野先生、どんな感じがいいわけ」
「風雅と意識させない風雅だ」
「ほー」
「だから、津田さんが見た路面のきらきらなんていい線行ってる」
「よしよし」
「ただそれを風雅、風流だと意識した瞬間、もう駄目なんだな」
「そうか」
「おっと長話した。尻が痛い」
 二人は花壇の段から尻を上げた。
 
   了


2013年2月4日

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